和解を喜ぶ尾上敬子さん(右から2人目)と夫一孝さん(同3人目)ら=名古屋市中区の名古屋高裁前で2024年11月15日午後1時34分、塚本紘平撮影

 旧優生保護法訴訟は15日、名古屋高裁で最後の和解が成立し、全国であった同種の訴訟は全て終結した。強制不妊手術から約50年。長年苦しんできた原告らは涙を流して喜ぶ一方、いまだ声を上げられずにいる「仲間」に思いをはせる。「声を上げられずに苦しんでいる人はたくさんいる。全ての被害者への補償を」と呼び掛けた。

 「和解を勧告する」。朝日貴浩裁判長はそう告げると、国による謝罪や慰謝料の支払いなどを盛り込んだ和解条項をゆっくりと、はっきりした口調で読み上げ始めた。原告で、夫婦で聴覚障害者の尾上敬子さん(74)と夫の一孝さん(77)は口を真一文字に結び、厳しい表情でうなずきながら手話通訳を見つめた。

 和解協議は非公開で行われることが多いが、この日は尾上さん夫婦の要望で公開の法廷で行われ、多くの支援者も傍聴席で和解の行方を見守った。

 慰謝料として敬子さんに1300万円、一孝さんに200万円を支払うことなどで原告側と国側の双方が合意し、和解が成立。朝日裁判長は尾上さん夫婦に「長きにわたり、大変ご苦労されてきたと思います。大変お疲れさまでした」と声を掛けた。

 高裁前には多くの支援者らが待ち受け、尾上さん夫婦や弁護団らを拍手と歓声で迎えた。花束を手渡されると、尾上さん夫婦の目からは涙がこぼれ、肩を寄せ合って喜びをかみ締めた。

 結婚して約50年。尾上さん夫婦は子どもを強く望んだが、子育てへの影響などを心配した母親に反対され、1975年に敬子さんは不妊手術を強いられた。以来、夫婦間では子どもや手術の話題は避けるようになり、「心に蓋(ふた)をし、二度と口に出さず、思い出さずに過ごしてきた」

 2022年9月、国に損害賠償計2970万円を求め提訴したが、当初は差別や偏見を恐れ、会見などでは顔や実名は出さずに訴えた。だが、途中で顔と実名の公表に踏み切る。「まだ声を上げられずにいる人たちを勇気づけたい」。そんな気持ちが突き動かした。

 閉廷後の記者会見で、敬子さんは「夫や仲間の支援のおかげでこの日を迎えられた」、一孝さんは「最高の喜び。胸がいっぱい」と笑顔で語った。

 一方で、同じ苦しみを経験した他の被害者へのメッセージも目立った。2人は「国が悪かったということを分かってほしい。だからどうか声を上げてほしい。被害を受けた人は名乗り出てほしい。一緒に頑張ってほしい」と何度も呼び掛けた。

 愛知県内では695人に旧法に基づく不妊手術が行われたが、被害者救済法に基づく一時金申請をしたのは34人(10月末現在)で、支給が認定されたのは21人。岐阜県は455人のうち一時金申請は17人、支給認定は13人にとどまる。

 弁護団は、今回の和解を「通過点に過ぎない」と強調する。「優生思想はまだ社会に残っている。それをなくすにはどうしたらいいか、検証し、必要な施策を国に要求する」と訴えた。【道下寛子、塚本紘平】

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