事故現場付近で記者の質問に答える、負傷者の玉置富美子さん。事故当時、3両目の連結部分に立っていた=25日午前11時、兵庫県尼崎市(竹川禎一郎撮影)

JR福知山線脱線事故から19年となった25日、あの快速電車に乗り合わせて負傷した多くの被害者が、兵庫県尼崎市の事故現場を訪れた。後遺症に苦しむ人は今も少なくなく、恐怖の記憶もまた深く心に刻まれている。

事故当時、電車の3両目の連結部分に立っていた伊丹市の玉置富美子さん(74)は、普段より速度が出ていることに気づき、恐怖を覚えた。つり革に手をかけた瞬間に「ゴゴゴゴゴ」と轟音(ごうおん)が響き、車体とともに身体がいったん宙に浮いて床へたたきつけられた。

こめかみからあごにかけての皮膚が裂け、足や腕を負傷した。顔の筋肉をうまく動かすことができず、今でも週に3回はリハビリへ通う。

あの日から19年の月日が流れ、事故を知らない世代の増加に危機感を覚える。「みんな痛みを抱えてる。今のうちに伝えられることを伝えたい」と話し、JR西には「身体だけではなく、心も傷ついていることを分かってほしい」と訴えた。

1両目で事故に遭い、負傷した宝塚市の会社員、木村仁美さん(40)は毎年4月25日に現場を訪れる。木村さんは「また1年が過ぎたという思い。事故は自分の中で大きかったが、(大事なのは)今後の人生をどう生きるかだと思っている」と語り、静かに手を合わせた。

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