日本の大学生が、ネパール・ヒマラヤ山脈の未踏峰に世界で初めて登頂しました。大学生だけで難関の山に挑戦するのはめずらしく、5人はアルバイトでお金を貯め、「誰も登ったことのない山」にこだわりました。
■日本の大学生5人が快挙
冒険家 植村直己さん「俺自身の中にはやってなくて、知らなくて、そしてやりたいって気持ちがあって。冒険心なくしてはものはできないんですよ。俺はそう思います」
1970年5月11日、植村直己さんが日本人として初めて世界最高峰エベレスト登頂に成功しました。それから半世紀。
この記事の写真 日本山岳会学生部プンギ登山隊「サミット(山頂)着いた。うれしい。初登頂プンギ6524メートル」
2024年10月12日、前人未踏だったヒマラヤ山脈・プンギ峰への登頂に成功しました。登ったのは、立教、青山学院、東大、中央と、バラバラの大学で山岳部に所属する5人組。大学時代の大半がコロナ禍だった世代でもあります。無事、下山した彼らに話を聞きました。
青山学院大学 井之上巧磨さん(22)「4年間、未踏峰遠征に行きたい思いでトレーニングに励んでいたので、4年の思いがかない、すごくうれしかった」
ネパールと中国の国境に立ちはだかる、巨大なヒマラヤ山脈。首都カトマンズに到着した一行は、まず車で近くまで行き、その先は徒歩で標高4700メートルにベースキャンプを設営します。切り立った崖の谷間を進んでいき、最終拠点となるハイキャンプを6200メートルに作りました。
そして10月5日、6200メートルのキャンプ地からゴールのプンギを目指し、初めてのアタック。しかし…。
日本山岳会学生部プンギ登山隊「1次アタック…敗退です」
切り立った岩山に阻まれ失敗。それでも…。
日本山岳会学生部プンギ登山隊「(プンギを)見つけたら行くしかないやろ」
登山中は“高山病”の症状にも苦しめられたといいます。
青山学院大学 井之上巧磨さん「起きている時は意識的に呼吸を深くするが、寝ると意識的にできなくなるので、高山病が進んでしまう。起きていても地獄なんですけど、寝ても寝た後、地獄を見る」 立教大学 横道文哉さん(22)
「ずっとインフルエンザのひどい時の夜みたいな。休養している間も続くので、寝ても回復しない。消耗する」
それでも挑むワケ。そこにはこんな思いがありました。
東京大学 尾高涼哉さん(22)「今時、インターネットとか見ればいくらでも記録はあるわけで。インターネットに転がってない、本来の“登山の形”を体現できる場所として『未踏峰』を選んだ」
そして、口をついて出てきたのはこの言葉。
立教大学 横道文哉さん「未踏峰に登るというのは一種の“ロマン”みたいなところがある。大学山岳部に入ると一度は夢見るような、全国大会優勝みたいな感じ。仲間にも天気にも恵まれて登ることができたのでラッキー」
彼らへの支援を決めた日本山岳会は、今回の登頂についてこう話します。
日本山岳会 平川陽一郎理事「山岳部で行くとOBがいるので(普通は)OBが主体になって行くが、今回は現役だけだから、これはあまり聞いたことがない。非常に素晴らしいこと」
加えて“他大学の5人”という点にも大きな意義があるといいます。
日本山岳会 平川陽一郎理事「私が現役の時は(学生団体が)60団体ほど。今は半分ぐらいになっている。数は少なくなっている。単一大学ではその大学だけで(人気は)留まるが、ここまで広い大学が行ったので、より一層の広がりが出ると思う」
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■大学生5人が語る“初登頂”秘話■大学生5人が語る“初登頂”秘話
思いを形にした5人に迫ります。ネパールにいる登山隊5人と中継がつながっています。
(Q.初登頂おめでとうございます。総隊長の井之上さん、なぜ未踏峰にこだわったのですか)
青山学院大学 井之上巧磨さん「僕たちは、登山の持つ一つの側面として、未知なる山やルートを既知なるものに変えていく、探検的精神を含んだ営みがあると考えています。ただ、日本やエベレストといった有名な山だと、情報がありふれていたり、ネット上で手に取るようにルート情報が分かってしまったりします。未踏の山を選ぶことで、探検的精神を含んだ登山をしてみたいという思いがあります」
(Q.アタックが失敗したことも意味があることですね)
青山学院大学 井之上巧磨さん「そうですね。このご時世にアタック失敗は、有名ルートだとなかったりします。自分たちで探りながらルートを選択していくのが未踏峰遠征の面白いところなのかなと」
(Q.尾高さん、過酷な経験もあったと思いますが、いかがでしたか)
東京大学 尾高涼哉さん「正直、大変なことも多かったです。日本の山よりもずいぶん寒かったり。今回、西側を登ったので、朝は日が当たらなくてとても寒くて、指先を動かさないと凍傷になりそうな寒さもありました」
(Q.過酷な中で遠征期間は2カ月近く。中沢さん、意見がぶつかったり、ギスギスしたりしたことはありましたか)
立教大学 中沢将大さん(21)「未踏ルートなので、自分たちで意見を出し合いながらルートを探っていくうえで、意見の対立はありましたが、特にケンカはなくて。ずっといい雰囲気の中で行うことができて、いいチームだったと思っています」
(Q.遠征の資金集めも大変だったと思いますが、芦沢さんはどんな苦労がありましたか)
中央大学 芦沢太陽さん(21)「今回の遠征で1人あたりだいたい100万円ちょっとお金がかかっています。遠征に行くと決めてからコツコツとアルバイトをしたり、我々の所属団体である日本山岳会の会員の方々からのご支援だったり、それぞれの大学山岳部のOBの方々からのご支援などでなんとか工面しました」
(Q.横道さん、就職活動はどうしていましたか)
立教大学 横道文哉さん「実は僕以外、休学していまして。僕は無事、遠征の1カ月前に合格通知を頂き、無職ではない状態で遠征に向かえました。しっかり打ち込むという面で、休学という選択肢もありましたが、僕みたいに普通に就職する学生もいた感じでした」
(Q.横道さん、トレーニングもあったなかで過酷だったのではないですか)
立教大学 横道文哉さん「皆さんは大学に行かなくてもいいのでアルバイトもできましたが、僕の場合は午前4時半に起きて3時間ほどアルバイト先のカフェでカフェラテを作り、その後、大学の図書館で6時間ほど勉強をして、夜は部活でトレーニングをして帰るという生活を週5〜6で続けていました」
(Q.井之上さん、今回の初登頂を通して伝えたいメッセージはありますか)
青山学院大学 井之上巧磨さん「過去に登山ブームがあって、山岳部がすごい流行った時期もあったと思いますが、今はどうしても下火で部員数が少ない大学も多いと思います。今回の遠征やVTRを見て下さった方に、少しでも山岳部に興味を持ってもらえたらうれしいです」 この記事の写真を見る
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