JR福知山線脱線事故で妻の節香(せつか)さん=当時(63)=を亡くした兵庫県西宮市の西野道晴さん(84)は事故から19年となった25日午前、長男の勝善(まさよし)さん(54)とともに事故現場の慰霊施設「祈りの杜(もり)」で営まれた追悼慰霊式に参列した。妻に安心してもらいたいと願い、「生き残った家族は元気にしているよ」と報告した。
「妻は仕事に情熱を持っていました。今でも妻が使っていたハサミは残しています」
西野さんは、節香さんが使っていた大小さまざまな8本のハサミを大切に手入れし続け、今も店に置いている。
同じ愛媛県出身でお互い理容師。見合い結婚して以来、苦楽をともにしてきた。約40年前に西宮市の住宅街へ移り、「ヘアーサロンにしの」を開店。節香さんは社交的で、客からの信頼が厚く、流行にも敏感だった。「周りよりもレベルの高い店にしたい」と意気込み、理容師としての技術を向上させるため講習に通うなど、仕事熱心だったという。
「気を付けて」。友達に会ったり、買い物へ行ったりするため、よく大阪へ出かけていた節香さん。あの日の朝も、西野さんは、いつものように大阪へ向かう節香さんに声を掛けた。これが最後の会話となった。
駅へ向かうバスが遅れ、事故が起きた快速電車の2両目にたまたま乗り合わせた。「いろいろなことが重なって、事故に遭ってしまった。まさかこんなことになるとは思わなかった」と西野さんは悔やむ。
テレビの報道で事故を知り、勝善さんとともに現場近くの病院を捜し回ったが、すぐには見つからなかった。「家内(節香さん)が亡くなっていると思うのが嫌だった。違うと信じていた」。夜になって、ようやく運び込まれた場所が分かり、節香さんと対面。非情な現実を突きつけられた。
事故後、「家内なら前向きに頑張る」と自分に言い聞かせ、勝善さんとともに1週間ほどで店を再開した。現在も二人三脚で店を切り盛りし、常連客の髪を整えている。
「家内も事故に遭わなければ、まだまだ元気に仕事をやっていたはず。これからも精いっぱい働きたい」。そんな思いで体力が続く限り店に立ち続けるつもりだ。
事故から19年が経過し、JR西では、事故後に入社した社員の割合が約7割を占める。事故の風化を防ぎ、「安全最優先」を掲げて社員研修に取り組んではいるものの、昨年1月に大雪で電車が立ち往生し、長時間車内に乗客が閉じ込められるなど、トラブルは絶えない。
「一瞬一瞬の緊張感がなければ、判断が遅れ、大惨事になる可能性がある。事故が起こってからでは遅い。安全管理を肝に銘じてほしい」。こうJR西に求める西野さん。これからも体力が続く限り、4月25日の朝に現場へ足を運び続ける。(喜田あゆみ)
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