母屋周辺の整備などへの協力を呼び掛ける松山忠弘さん=和歌山県紀の川市桃山町神田で2023年4月21日午前11時20分、藤原弘撮影

 慶応義塾で学び日本で初めて英語医学書を翻訳するなど、日本の近代医学の礎を築いた和歌山県紀の川市出身の医師、松山棟庵(1839~1919年)を顕彰する市民団体「尊生舎 松山棟庵プロジェクト」が発足した。棟庵の兄が1888年に建てた母屋が残る棟庵生誕地(紀の川市桃山町神田)を所在地とし、周辺の整備や棟庵の事績を紹介するパンフレットの作製などに取り組む。【藤原弘】

「生誕地」の母屋整備も

明治時代に出版された自然科学書が張られた障子=和歌山県紀の川市桃山町神田で2024年4月19日午前11時4分、藤原弘撮影

 棟庵は江戸で福沢諭吉に出会い、福沢がアメリカから持ち帰った英語医学書「内科全書」を翻訳。福沢の命で慶応義塾医学所を創設して初代校長となった。「尊生舎」は医学所の診療所の名前にちなんでいる。医学所は廃校になったが、東京慈恵会医科大の源流とされる成医会講習所の創設にも関わった。

 一方、母屋では昭和期まで兄の家系が医院を営み、地域医療に貢献した。棟庵は1866年に江戸に移り住んだが、帰省するたびに母屋を訪問。兄の子孫で予備校講師の松山忠弘さん(59)=和歌山市=によると、福沢と親交が深く慶応義塾の塾長などを務めた小幡篤次郎(1842~1905年)が1868年に出版した自然科学書「天変地異」が、母屋の障子紙に使われているのが見つかったという。

 松山さんは2022年から母屋の片付けや周辺の草引きなどを行い、棟庵やその兄らの事績を学ぶ講座を24年1月に始めた。2月には松山さんらが団体を発足し、4月に紀の川市内を拠点に公益的な活動を行う市民団体として登録された。松山さんは「棟庵は社会の中に入っていって、今につながる事績を残した。将来的には東京での顕彰活動も活発化させたい」と話している。

ボランティア募る

 「松山棟庵プロジェクト」では、生誕地などの整備を手伝うボランティアを募集。詳しい活動内容は同団体のフェイスブックやインスタグラムで発信している。問い合わせは、松山さん(090・3675・1521)。

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