今から18年前の2006年秋、米航空宇宙局(NASA)の研究者が、田畑に囲まれた香川大学農学部(香川県三木町)を訪れた。希少糖研究の第一人者で、同大名誉教授の何森(いずもり)健さん(81)に地球外生命探査について助言を求めるためだ。NASAも注目した希少糖の研究で世界をリードする香川大。最前線を取材した。【佐々木雅彦】
一般的な砂糖は、ブドウ糖と果糖という二つの「単糖」(糖の最小単位)が結合してできている。自然界に存在する全ての単糖のうち、この二つを含む7種類が約99・9%を占める。残りの0・1%程度については約50種類の単糖が確認されており、これらを総称して「希少糖」と呼ぶ。ガムなどに使われている「キシリトール」も希少糖の一種だ。
「微量でも存在するからには何か理由があるのでは」。微生物利用学が専門の何森さんは、1984年に本格的に希少糖の研究を始めた。だが、希少糖は研究材料としては高価だった。そこで、自然界に多く存在し、より安価に手に入る単糖を希少糖に変換する酵素を持つ微生物を探し求め、全国各地の土を集めた。十分な研究費を確保できず、大学生協から古い肉まん保温器を譲り受けて微生物を培養したこともある。
突破口は「食堂裏」
突破口が開けたのは91年。農学部の食堂裏の土から採取した微生物が、未知の酵素を持っていた。その酵素の反応を調べていくと、果糖を希少糖の一つ「D―アルロース」(別名D―プシコース)に変える働きがあることがわかった。この発見で希少糖を安価に生産できるようになり、研究が軌道に乗る。98年以降、希少糖に関して国や県から次々に研究助成を受け、2000年にはアルロースの大量生産方法を確立。実用化へ道が開けたことで、研究が産官学の連携体制に発展した。
11年にはついに実用化が実現。企業とタッグを組んで、アルロースなど希少糖を含むシロップ「レアシュガースウィート」を発売した。アルロースは砂糖の7割の甘さがあるのにカロリーはゼロで、血糖値上昇や脂肪蓄積の抑制作用もある。
何森さんが研究を進めるまで希少糖という概念はなく、明確な定義がなかった。何森さんはいわば名付け親で、造語した「希少糖」は18年に広辞苑に収録された。
がん新薬や農薬に利用できる可能性
単糖類は生物誕生前から地球に存在している。その研究は生命起源の解明につながるとしてNASAも関心を寄せた。何森さんは06年に宇宙生物学チームから希少糖の分析方法について問い合わせを受けるなど、宇宙分野にも広がりを見せている。
香川大は16年に国際希少糖研究教育機構を設立した。機構長の秋光和也教授(62)は「全希少糖を生産できるのは香川大だけ」と話す。秋光教授によると、食品開発の分野では成人病予防への期待から国際競争が激しく、特に米国やメキシコ、韓国が熱心という。機構では、学部の枠を超えた教員約70人が全種類について研究を進めている。
ブドウ糖などは現在、医薬部外品や化粧品、洗剤、繊維といった広い分野で使われている。セメントの凝固制御剤に添加されることもある。これを希少糖に換えると、地盤改良でセメントを使用した際に発生する有害物質を抑える効果が確認された。この他、がんの新薬や病原菌の成長を阻害する農薬などに利用できる可能性も報告されている。
何森さんが本格的に研究に取り組み始めた40年前は誰にも見向きされなかった希少糖。何森さんは「勢いのある最先端研究から落ちた分野にも光るものは残っている」と話す。今も機構の研究顧問を務め、教員らの相談に乗る。学生への講義では、こう語りかけている。「この世でまだ認識されていないくらいの新しいことをやってみなさい」
研究には地元の高齢者を雇用
自然界では糖は植物の光合成で作られる。その大半がブドウ糖だが、1960年ごろ、英国の学者が地球上の植物で唯一、落葉低木の「ズイナ」にアルロースが含まれていることを発見した。何森さんは、誰も注目していなかったこの発見に改めて光を当てた。
ズイナは近畿南部、四国、九州に自生する。香川大は、ズイナからアルロースを取り出そうと、自生するズイナ探しから始め、試行錯誤の結果、組織培養で増やすことに成功した。
2013年、同大は香川県三木町の廃校を活用した希少糖研究研修センターで苗木の生産を始めた。地元の高齢者グループを雇用し、白衣姿の高齢者たちがピンセットとシャーレを器用に操っている。この取り組みは地域を活性化させたとして、17年度の「ふるさと名品オブ・ザ・イヤー」(内閣府後援)政策奨励賞を受賞した。
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