宮崎空港の誘導路で見つかった大きな陥没。不発弾の爆発が原因と判明しました。不発弾が突然、爆発することはあるのでしょうか。
■宮崎空港の誘導路に「大穴」が
空港の誘導路に大穴 この記事の写真は12枚2日午後、県のヘリからの映像が届きました。宮崎空港の誘導路にぽっかり穴が開いています。
航空大学校に設置されたカメラ宮崎空港を映した映像。滑走路向かい、航空大学校に設置されたカメラのものです。
爆発の瞬間午前7時58分、宮崎空港から1機の飛行機が離陸します。爆発はその1分後…
その瞬間、黒煙が大きく立ち上り、地面からは破片が数メートルにわたり飛び散っている様子がわかります。
午前8時前、宮崎空港の誘導路で爆発がありました。
「爆発のようなものがあった」と消防に通報があったのは、午前8時すぎ。
「誘導路で爆発らしきものがあり、周辺に破片が散らばっている。破片は一部、周辺の滑走路に及んでいる」
宮崎空港で突如、爆発した誘導路。穴の大きさは直径7メートル、深さ1メートルほどに及びます。
穴の大きさ宮崎唯一の空の玄関口は混乱しています。滑走路は現在も閉鎖されています。
富山へ帰る人「お葬式にきた」
「困ります」
「とりあえず鹿児島に行こうと思う。めどが全然、立たないので困った」 モニターには「欠航」の文字
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■なぜ突然?不発弾爆発■なぜ突然?不発弾爆発
2日朝、宮崎空港で上がった黒煙。何が、なぜ爆発したのでしょうか。
宮崎空港の担当者は 宮崎空港事務所担当者「(Q.不発弾の爆発によるもの?)不発弾が何らかの原因により爆発したものと思われる。不発弾と特定したのは、自衛隊による確認の結果、不発弾と特定した」 「米国製の500ポンド爆弾」 「(Q.大きさは?)現状の報告を受けている内容によりますと、米国製の500ポンド(約230キロ)爆弾と自衛隊からは連絡を受けている」
周辺住民は、こんな話をしています。
周辺住民は 周辺住民「戦争当時はここ(宮崎空港)を使っていた」
「(過去に)施設内で空港に不発弾があった、当時も話があった」 旧日本海軍の飛行場として誕生
宮崎空港は太平洋戦争中の1943年、旧日本海軍「赤江飛行場」として誕生。その跡地を利用し、戦後、1954年に宮崎空港として開港しました。
過去には、たびたび不発弾とみられるものが見つかり、避難勧告が出されたケースもあります。
宮崎特攻基地慰霊碑奉賛会 川越事務局長 宮崎特攻基地慰霊碑奉賛会 川越賢二事務局長「特攻基地になって作戦基地になっていたので、それ相応の攻撃は受けたと思われる」
空港に不発弾があった場合、なぜ工事の時に見つからなかったのでしょうか。
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■空港に米国製爆弾 これまで調査は?■空港に米国製爆弾 これまで調査は?
2日朝、宮崎空港で爆発した不発弾。突然、爆発するケースはあるのでしょうか。
不発弾処理などを行う高山氏 不発弾処理などを行う 高山良二氏「ベトナム寄りのホーチミン・ルートの地域で北ベトナム軍が攻める時に、それを阻止するために米軍が落としたMK250という爆弾がある。それは(過去に)処理をしたがその爆発によく似ている」
「(Q.突然、爆発するとこはあるか?)何かの要因で発火して爆発したと思うが、(要因は)大きく3つある。一つは衝撃、一つは熱、一つは電気。例えば落雷など」
「(Q.今回はどれが要因?)衝撃は地震だとか、大きな外的な衝撃があるように見えない。電気も落雷などはないので、消去法で残ったのは熱。なにかの拍子で熱が作用したことが考えられる」 これまで調査は?
空港に不発弾があったとしたら、工事の時になぜ見つからなかったのでしょうか。
宮崎空港事務所担当者「(Q.不発弾の定期的な調査は?)この不発弾に関しては施設設備の際に整備をする前に安全性を確認しているので、基本的には施設が整備された箇所については不発弾が埋まっていないと考えている。当時の調査がどのように行われていたか確認できておらず、そこについては何とも答えのしようがないという現状」
今回の爆発でけが人は確認されていません。
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