いわゆる「袴田事件」で無罪判決です。姉とともに闘った58年、無罪を勝ち取った袴田巌さん(88)の思いは。

■袴田事件「無罪」姉弟58年の戦い

 裁判所のある静岡市から約70キロ。無罪判決に沸く支援者らのにぎわいをよそに、袴田さんは静かな日常を過ごしていました。

支援者
「巌さん、いいことがあったって今、連絡来ました」

 事件から58年。いったんは確定した死刑判決から44年。再審請求が認められてから10年。長い長い闘いでした。

 判決は26日午後2時すぎ。裁判長は判決の直前、代わりに出廷していた姉のひで子さん(91)に「良かったら証言台でお聞き下さい」と促し、そのうえで無罪判決を言い渡しました。

 巌さんが犯人と疑われたのは1966年、静岡県の旧清水市でみそ会社の専務一家4人が殺害された事件。巌さんは当時、その会社の従業員でした。

 裁判では、事件から1年2カ月後にみそタンクの底から見つかった「血痕の付いた衣類」が最大の争点となります。

 検察側がそれを動かぬ証拠と位置付ける一方で、弁護側は血痕の色に着目。赤みが残っているのは不自然であり、捜査機関が捏造(ねつぞう)したものだと主張し、無罪を訴えました。

 判決の朝、入念に身支度を整えていたひで子さん。

巌さんの姉 袴田ひで子さん
「なるべく白いものを身に着けようと。もう58年闘ったから、いい加減してもらいたい」

■「犯人とは認められない」証拠は“捏造”

 今月26日の判決のなかで裁判長は証拠とされた衣類を捜査機関による捏造と認定。他に犯行を自白したとされる供述調書も検察による非人道的な取り調べによって得られたもので、実質的な捏造と断じました。

 残すは検察側の出方です。

 10年前、再審開始と袴田さんの保釈を認めた当時の裁判長も駆け付けていました。

村山浩昭元裁判長
「巌さんとひで子さんには、ゆっくり休んでいただきたい。検察は控訴しちゃいけない。そんなことしたらね、非難ごうごうですよ」

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