慰霊碑にバイオリン演奏をささげ、犠牲者を弔った爆発赤痢の慰霊祭=福岡県大牟田市笹林町の笹林公園で2024年9月25日正午ごろ、降旗英峰撮影

 戦前の1937年、福岡県大牟田市で1万数千人が赤痢のような症状を発症し、712人が死亡した「爆発赤痢」の慰霊祭が25日、同市の笹林公園にある慰霊碑前であった。約30人が参加して花を手向け、市民団体「いわゆる爆発赤痢研究会」会員でバイオリン奏者のドロシーみきこさんが鎮魂の演奏をした。

 爆発赤痢は、同年9月25日夕から幼児や児童を中心に市民が次々と高熱やけいれんを発症し、亡くなった。39年に建立された慰霊碑は「青天ノ霹靂(へきれき)ノ如ク古今ヲ絶スル悪疫ノ魔手ニ掩(おお)ハレタリ」と様子を記している。遺体が多過ぎ、火葬場も火事を起こしたという。

 当時、国は水道を介した赤痢菌による感染と判断した。しかし、69年発行の市史によると、37年9月21~25日に同市の三池港で給水した9隻の船に異常はなく、当時の水道課長は水道が原因でないと主張した。現地調査をした旧陸軍軍医も「赤痢菌による水道汚染で片付けるのはおかしい」と話していた。

 慰霊祭は39、40年に市主催で開かれ、2006年に研究会が再開した。6歳と4歳だった伯父2人を亡くした久留米市の河北美和子さん(68)は「祖母は亡くなるまで子を守れなかったと自分を責めていた」、姉を亡くした大牟田市の嘉富(よしどみ)正博さん(79)も「母は何が原因がさっぱり分からないと言っていた」と記憶を語った。

 研究会は10月12日午後2時、市中央地区公民館で「爆発赤痢」の概要や原因を考える講座を開く。500円。ズームでも聴講できる。池田さん(080・3188・6756)。【降旗英峰】

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