能登半島にある石川県珠洲市仁江町では地震や豪雨で大きな被害を受けた。住民の谷内謙一さんは避難する前に集落を撮影していた=2024年9月21日昼ごろ撮影

 能登半島を襲った豪雨は、元日の地震から復興を目指していた住民らに追い打ちをかけた。壊れた自宅の復旧に向け、少しずつ片付けなどをしてきた人たちもいる。大雨で周囲から孤立し、ヘリコプターで救出された男性は語った。「もうあかん、もうふんばれない」

 能登半島の北部にある石川県珠洲(すず)市仁江町。地震で大規模な土砂崩れが起きたことに伴い、一帯は自宅で生活できなくなる「長期避難世帯」となった。住民らは週末などを使って一時帰宅している。

 左官業の谷内謙一さん(69)もその一人。仁江町の自宅は半壊したが、まだ住み続けられる状態だった。別の場所に家を借りつつ、仁江町にたびたび帰宅していた。豪雨が襲ってくる前日の20日もいつも通り戻っていた。

 21日未明から雨が強くなったことで「朝一番で帰ろう」と考えていた。ほどなくして知人からの電話で孤立していると知らされ、近くの集会所に身を寄せた。間もなく近くの水路の水があふれ、集落に押し寄せていくのが目に入ってきた。

 「ふるさとが目の前で消えていった。悲しくて悔しくて、恐ろしくて」。涙が止まらなかった。

 集会所の電気は止まっており、救助を待つ間はろうそく1本で過ごした。心細かった。助けの手が届いたのは豪雨から2日たった23日昼ごろ。ヘリコプターに乗り込み、能登半島を南に下った同じ珠洲市内に運ばれた。

 仁江町では地震で多くの死者が出た。町外に住居を移す人も少なくなかった。それでも、谷内さんはふるさとで暮らし続けようと思い、1カ月前に自宅のエアコンを入れ替えたところだった。

 慣れ親しんだ家は床上まで水がつかり、もう住めそうにない。谷内さんはつぶやいた。「なんで、こんなことばかり続くんや。もう仁江を離れるしかない」【稲生陽】

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