「藤江氏魚楽園」の入り口には「休園中」の看板が掲げられている=福岡県川崎町で2024年4月3日午後2時55分、岡村崇撮影(画像の一部を加工しています)
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 「画聖」と称される室町時代の水墨画家、雪舟(せっしゅう)(1420~1506年?)が築庭したとされ、国の名勝にも指定されている庭園が、4年近く休園したままになっている。背景にあるのは、長年にわたり庭園を受け継いできた“平家の子孫”とされる名家の「親族間紛争」だ。文化庁によると、身内のいさかいで国の文化財が公開されない例は極めてまれ。静寂な景観が骨肉の争いでかすむ。

 「遠くからご来園頂きましたが諸事情により当面の間休園となっております。誠に申し訳ございません」

 福岡県川崎町にある国の名勝「藤江氏魚楽(ぎょらく)園」の入り口。「休園中」と赤字で大きく書かれた看板には、こう説明が添えられている。看板の上には、旧文部省と福岡県教委、川崎町教委の連名による魚楽園の解説が設置され、ここに文化財があることを気付かせてくれる。

藤江氏魚楽園
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 魚楽園は、雪舟が応仁の乱(1467~77年)を憂え、中国で学んだ山水の技術を生かして平和を願う心境を表現した庭とされる。作庭の時期は分かっていない。江戸時代に漢学者の村上仏山(ぶつざん)(1810~79年)が「詩経」の一文「魚楽しければ人また楽し、人楽しければ魚また楽し」から魚楽園と命名したという。

 敷地面積は約1万1000平方メートルで、山麓(さんろく)に位置した自然の地形を巧みに利用。島のある池を中心に鶴と亀を模した石を配し、周囲にはカエデやツバキ、ツツジなどが植えられている。紅葉シーズンを中心に、県内外から大勢の観光客が訪れる名所として知られている。

 国の名勝指定手続きに携わった元町職員などによると、壇ノ浦の戦い(1185年)で敗れた平家の残党との言い伝えがある地元の名士、藤江氏が魚楽園を代々受け継いできた。1978年9月に国の名勝に指定され、80年代から一般向けに公開。往時には年約3万人の観光客でにぎわった。

休園前は多くの観光客でにぎわった「藤江氏魚楽園」=福岡県川崎町で2013年11月15日午後3時44分、荒木俊雄撮影
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 暗雲が垂れこめたのは、2020年ごろだった。

 関係者によると、魚楽園は元々、藤江氏の直系の子孫が管理運営し、土地はその親族が所有していた。

 だが、子孫側が手がけた庭園整備を巡って町の文化財担当の職員が書類を偽造し、県から16~19年度に補助金計208万5000円を子孫側が不正受給していたことが県や町の調査で判明。職員は調べに「魚楽園を支えてあげたかった」「(子孫側の)確認の上で(不正受給を)進めていた」などと弁解したという。

 魚楽園を管理運営していた直系の子孫の女性は、毎日新聞の取材に「補助金の申請は町の職員に任せており、虚偽申請という認識はなかった。補助金は庭園管理の必要経費として使っているつもりだった」と釈明。自身の不正への関与を否定する。

 一方、土地を所有する親族の男性は「補助金の不正受給が判明し、(子孫側への)信頼が失墜した」と憤りをあらわにする。19年10月からは親族側が管理運営も担っているといい、24年5月には職員を有印私文書偽造・同行使容疑で福岡県警に刑事告訴。男性は子孫側への不信感から、納得のいく説明があるまで魚楽園を再開しない方針という。

観光客向けに町が整備した駐車場。奥が藤江氏魚楽園の入り口=福岡県川崎町で2024年7月18日午後4時2分、岡村崇撮影
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 問題の解決に向けた見通しが立たない中、魚楽園は20年12月から休園が続く。川崎町は約10年前、約2億3500万円をかけて庭園そばに観光客向けの駐車場を整備。町民からは園の再開を待ち望む声も聞かれるが、町の担当者は「個人が管理する庭園について、行政はどうすることもできない」と頭を抱える。

 文化庁によると、文化財保護法は文化財の所有者に対し「文化財を公共のために保存するとともに、できるだけ公開するなど文化的活用に努めなければならない」と定めている。ただ、人手不足や補修費などが工面できないといった理由で公開が難しい文化財もあり、強制はできないという。

 担当者は「焼失などで文化財の価値を保てないと判断されれば、国指定の取り消しもあり得るが、長年閉園となっていることが取り消しの理由とはならない。国としては、開園をお願いするしかない」と話す。【岡村崇】

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