第二次大戦終結後に日本の将兵らが旧ソ連軍に連行された「シベリア抑留」で亡くなった人の名前を、一人ずつ読み上げて追悼する民間のイベントが8月下旬、オンラインで開かれた。約4万6300人の名簿を4日がかりで読み上げる途中で、1人の名前が付け加えて読み上げられた。
「西村壽弥男(すやお)さん」。イベントの3日目。五十音順で3万1428番目の「ニシムラ ススムさん(漢字表記不明)」と次の「西村誠治郎さん」の間に、新たに刻まれた。
佐賀県吉野ケ里町(旧東脊振村)出身。厚生労働省がロシア側と日本側の記録を照合したところ、シベリア抑留で亡くなっていたことが2年前に判明した。旧ソ連が作製したカードに「サガ」「ヒガシセフリ」などと詳しい出身地情報が書かれていた。
記録によると、戦争が終わった4カ月後の1945年12月18日、ロシア・シベリア地方イルクーツク州タイシェト近くの病院で栄養失調のために亡くなった。21歳だった。
その後、現地の墓地から掘り出され、厚労省が保管していた遺骨の一つが西村さんのものだとDNA鑑定で突き止められた。戦後79年を迎える今年6月、吉野ケ里町の親族宅に届けられた。
親族によると、小学校の代用教員などを務めた西村さんは徴兵されて中国に渡った。46年1月に中国・牡丹江で戦病死したとの公報が届いた。親族は公報に書かれた日を命日として神社に参っていたという。
正しい死亡日といきさつが分かったことから、戸籍を訂正する手続きをとっていたところ、読み上げのイベントを知った。
8月25日午後2時半、読み上げがユーチューブで中継されるのを親族で集まって見守った。おいの妻にあたる隆子さん(77)は「まさかシベリアに抑留されていたなんて。青天のへきれきでしたが、ありがたいですね」と話した。【青島顕】
シベリア抑留と死亡者名簿
第二次大戦後に中国東北部や朝鮮北部などにいた日本の将兵らを旧ソ連軍が支配地域に連行。寒さと食糧不足の中で過酷なインフラ整備に使役した。研究者らによると、約60万人が連行され、約6万人が死亡した。抑留体験者の新潟県糸魚川市の元中学教諭、村山常雄さん(1926―2014年)はソ連・ロシア政府が日本に提供して公表されていたカタカナ表記の名簿を整理し、日本政府から入手した漢字データをなどと照合して、約4万6300人分の死亡者名簿を作成し、2007年に自費出版した。ホームページに公開された名簿を読み上げるオンラインイベントが20年から毎年8月に市民団体によって開かれている。
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