紫のマフラーを手にする笠井智一さん(右)。笠井さんが所属した第343航空隊第301飛行隊の別称「新選組」と刺しゅうされている=2002年5月11日撮影(遺族提供)
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 国内に唯一現存する旧日本海軍の戦闘機「紫電改」の展示館(愛媛県愛南町)には、「紫のマフラー」が展示されている。パイロットだった笠井智一さん(2021年に死去、享年94)が終戦まで首に巻いて戦い、生前の2007年に同館に寄贈した貴重な遺品だ。

 「19歳で終戦を迎えた父は戦後、生き残っていたことを苦しんでいたように見えた」。笠井さんの長女、多田秀子さん(68)=兵庫県芦屋市=は、そう振り返る。太平洋戦争末期に開発された紫電改には、全国から優秀なパイロットを集めて松山市で編成された「第343航空隊」の隊員が搭乗した。紫色の絹のマフラーは、同市で食堂「喜楽」を営んでいた今井琴子さん(1996年に死去、享年71)が、笠井さんら隊員に餞別(せんべつ)として贈ったものだ。

紫電改展示館を訪れた笠井智一さん(中央)と多田秀子(右)ら=愛媛県愛南町で2014年10月、多田さん提供
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 今井さんの弟、要さん(86)=愛媛県大洲市=らによると、琴子さんは、母親から嫁入り衣装として贈られた白無垢(むく)を切って、四十数枚の布地にした。それを染め物屋に持ち込んで戦闘機名に合わせて紫に染め上げ、済美高等女学校(現済美高)の生徒たちとマフラーを作った。要さんは「姉は、自分よりも他人を優先する世話好きな人だった。兵隊さんをどんな気持ちで送り出そうとしたのか、想像してみてほしい」と話す。

 多田さんによると、マフラーは智一さんが展示館に寄贈するまで兵庫県伊丹市の自宅の洋だんすに保管されていた。亡くなる直前まで「国を守るため、家族を守るために必死で戦い散っていった戦友たちが存在した証しを後世に正しく残すことが、生きて帰ってきた者の使命だ」と繰り返し語っていたという。多田さんは「正しく歴史を知ってほしいと、父はマフラーを託した」と語る。

 展示館は愛媛県が整備し、1980年に開館した。初年度は最多となる年間約15万7000人が来場したが、近年は約2万人で推移している。老朽化が進んでいることなどから、県は2026年度にリニューアル移転することを決めた。23年4月に有識者らによる検討委員会を発足し、設計や展示内容などについて議論を進めている。

遠藤克彦建築研究所が設計する紫電改の新展示館内観イメージ図=同研究所提供
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 新展示館は総事業費約5億4000万円で、紫電改は引き揚げられた久良湾を望むように配置される。一面ガラス張りで、来場者は実機と共に紫電改が飛んだ「空」と引き揚げられた「海」を一望できる。間近で見学できる上、スロープを設置してさまざまな角度や高さから眺められる造りに設計される方針だ。県によると、テーマや年代別に部品や引き揚げ時の写真、搭乗した隊員の遺品などを展示して「実機と史実に向き合うことを通じて平和を考える」構成にする。

 新たに設置を予定しているのが、来場者が館内見学後に未来の社会や自分、大切な人などにあてて平和への思いをつづる「未来へのハガキ」を書くコーナーだ。紫電改を直接見て感じたことをそれぞれが自由に表現する。投稿されたハガキは展示館側が選んで展示し、「来場する市民と一緒に恒久平和を語り継ぐ」施設を目指す。

 新展示館でも紫のマフラーは引き続き展示される。多田さんは「『二度と戦争を起こしてはいけない』と願った亡き父も、きっと空から喜んでいる」と期待する。「平和の象徴として紫電改を守る展示館の中で、父と共に戦った紫のマフラーをこれからも大切にしてほしい」【鶴見泰寿】

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