学童や一般住民ら計1788人を乗せた疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦の魚雷に撃沈されて80年となる22日午前、沖縄県那覇市若狭にある慰霊碑「小桜の塔」で対馬丸記念会主催の慰霊祭が営まれた。生存者や遺族、国、県、市の関係者らが参列し、汽笛の音に合わせて黙とうをささげ、夏空の下、犠牲者の冥福を祈った。
対馬丸撃沈の犠牲者を追悼する参列者=22日午前、那覇市若狭・小桜の塔対馬丸記念会の高良政勝代表理事(84)は「追悼のことば」で「悲惨な出来事を二度と繰り返してはいけない。世界から報復の連鎖が断ち切られることを願い、対馬丸の子どもたちのメッセージとして平和の尊さを伝えていきたい」と述べた。
来賓弔辞で玉城デニー知事は「今年は対馬丸事件から80年、小桜の塔建立から70年、対馬丸記念館開館20年の節目の年。痛ましい悲劇が二度と繰り返されることがないよう、不戦の誓いと世界の恒久平和の実現に向けて全身全霊を捧げていく」とあいさつした。
対馬丸は1944年8月21日午後6時35分、那覇港から長崎へ向け出航。翌22日午後10時12分ごろ、鹿児島県の悪石島沖で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け、同23分ごろ沈没した。対馬丸記念館によると、犠牲者は名前が判明しただけで1484人で、うち学童は784人に上る。
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