31歳で犠牲になった祖母の遺影を掲示する照屋一男さん=那覇市の対馬丸記念館で2024年8月20日午後1時10分、比嘉洋撮影

 第二次世界大戦中の1944年8月、沖縄を出た学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦に攻撃され沈没し、児童ら1400人以上が亡くなってから22日で80年になる。悲劇を伝える那覇市の対馬丸記念館では20日、新たに犠牲者8人の遺影が展示室に加わり、遺族らが手を合わせた。

 記念館によると、8人は当時9~14歳の子ども5人と市民3人。遺影は、これまでに判明した犠牲者1484人の約4分の1に当たる414人分となった。

 那覇市の佐敷達雄さん(65)は、叔母安子さん(当時13歳)の遺影を新たに掲示した。戦後に東京に移った父の自宅を昨夏にリフォームした際、名前が裏に書かれた安子さんの写真を見つけたという。「存在をここに証明できてよかった」

 沖縄市の照屋一男さん(60)は祖母の真喜志(まきし)トシさん(当時31歳)の遺影を展示室の壁に掲げた。2年前には叔父健一さん(当時7歳)の遺影も掲示しており、「親子一緒にできて、いい供養になった」。照屋さんは対馬丸に乗った親ときょうだいを一度に失った自身の母をおもんぱかり、「悔しい気持ちでいっぱいだったんじゃないかな。写真で戦争の悲惨さを伝えていけたらいい」と語った。

 対馬丸は44年8月21日夜、沖縄から疎開する児童や市民ら約1800人を乗せて那覇を出港。長崎に向けて航行中の22日夜、鹿児島県・悪石島沖で魚雷攻撃を受けて深さ約870メートルの海底に沈んだ。今月22日には、対馬丸記念館を管理運営する公益財団法人対馬丸記念会が主催する慰霊祭と祈念式典がある。【比嘉洋】

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