能登半島地震の発生直後から、10日以上孤立状態にあった石川県輪島市西保地区。大沢町、下山町など7町で構成され、一部では半年が経過した今も電気や水道が復旧していない。
「今立っている場所も海の上だった。でも、自分で何でもやれば土の山も船着き場にできる」。2次避難先を出た後、仮設住宅に入らず自宅に戻った谷内口(やちぐち)喜美さん(70)は、汗を流し黙々とツルハシを振りおろした。
地震後、同地区中心部にある大沢漁港は海底の隆起で軒並み船を出せなくなった。国土地理院によると、漁港から直線距離約3キロ地点で2・29メートルの隆起を観測。後に業者が海底を掘削し、小型船が出港できる水位は確保されたが、土砂は周辺に堆積(たいせき)していた。谷内口さんはその土をならし、新たな船着き場への道を作ろうとしていた。
市立輪島病院で働く中嶋あゆみさん(31)は、大沢町に戻らず仮設住宅から通勤する。震災前、夜勤のある日には空き家となっていた朝市近くの祖父母宅に泊まっていた。鉄工業を営んでいた祖父母手作りのブランコを手に「県外の友達は『輪島から出て来なよ』って言ってくれた。でも今は、大変な状況の地元のために働きたい」と胸の内を明かした。祖父母宅は家族に見守られながら、7月中旬に解体された。
角(かど)アツ子さん(69)は、大沢町からヘリコプターで一緒に避難した愛犬のももえを5月に失った。同月には故郷の秋田で暮らす母親も亡くした。「地震で大沢を離れ、ももえが心の支えだったから。そこに母まで……」。悲しみに暮れるアツ子さんを見た息子たちが後押しし、6月、新しい子犬の里親となった。「愉快な日々になるよう願いを込めて『かい』と名付けたの」。狭い仮設住宅で、小さな命を抱きしめる。
下山町で漁師だった谷内(やち)友三さん(63)は、大型漁船の出港が困難となり、廃業を決意した。今は石川県小松市で弟の勝司さん(58)が営むタイヤのリサイクル業に従事する。「裏山の土砂崩れで自宅に帰るのは無理だ。今は、兄みたいな弟に助けられて生きています」。勝司さんも「兄の暮らす下山は俺たちの故郷。集まれる場所を失ったみたいで寂しいけど、俺の方こそ働き者の兄貴が来てくれて、助かっています」と肩を組んだ。
自宅で過ごす住民らは今も、発電機や山水を利用しての生活が続く。それでも大沢町では8世帯11人(7月17日現在)が残る。他の地元民も仮設住宅から自宅に通い、近所付き合いを続けている。
大沢漁港の前に自宅がある小橋敏雄さん(81)は7月11日、病気で亡くなった。直前まで、生まれ育った大沢町に残り生活していた。生前、海を見つめてニカッと笑った。「地震があっても大沢は大沢や。ここで育った皆、大沢の海が好きなんよ。良い風、吹いとるがいね」【北山夏帆】
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