「根室空襲」の犠牲者の名前が刻まれた根室市平和祈念の碑に手を合わせる遺族ら=根室市の鳴海公園で2024年7月15日午前11時18分、本間浩昭撮影

 太平洋戦争末期の1945年7月、米軍機による爆撃で約400人の命が奪われた「根室空襲」から79年となる15日、犠牲者の冥福を祈り、平和の大切さを考える「根室空襲犠牲者追悼の集い」が根室市で行われた。

 集いは、最も多くの犠牲者を出した市街地中心部の鳴海公園であり、遺族や関係者ら約30人が参列。根室空襲研究会の近藤敬幸事務局長(94)は79年前に市内を焼け野原にした空襲を昨今の世界情勢と重ね合わせ、「殺傷能力の強い火器の開発が『抑止力』と読み替えられ、配備することを当然のこととする恐ろしさ。平和憲法を手にし、平和と民主主義をたん能するいま、なぜそれを壊そうとするのか」と疑問を呈した。

 世話人の神忠志さん(81)は沖縄戦が終わった1945年6月の最高戦争指導者会議についてふれ、「もしも、このとき(降伏の決断という)正しい判断が下されていたら、もっと早く戦争は終わっていたのではないか。6月からの2カ月でどれほど多くの犠牲を出したか」と語り、「日本という国がいま、どこへ向かっていこうとしているのか改めて一人一人が考える機会にしたい」と述べた。【本間浩昭】

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。