最高裁判決を受けて記者会見する元信者の女性の長女=東京都千代田区で2024年7月11日午後4時42分、手塚耕一郎撮影

 裁判長の言葉を聞きながら、元信者の女性の長女はこの9年間を思い起こさずにはいられなかった。11日の最高裁判決。それは、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を相手に、原告として母娘で争い続け、ようやく目にした「まっとうな判決」だった。

 「原判決中、次の部分を破棄する」

 午後3時、堺徹裁判長が読み上げた判決は全面敗訴だった1、2審を覆し、原告側の主張をほぼ認める内容だった。原告側の弁護士は「ここまで踏み込んでくれるとは。感動した」と言い切った。

 一方、傍聴席に詰めかけた教団の法務担当幹部らは硬い表情を崩さなかった。

 それでも、判決後に行われた原告側の記者会見で、60代の長女はこう言った。

 「(教団に献金をしていた)母の様子がおかしいと気づいてから9年がたちました。とても長い年月です。もっと早く、1、2審でこの判決が出ていたら、母にも見せられたのに」

 原告でもあった女性は東京高裁で審理中だった2021年、91歳で亡くなった。

 9年前、女性を伴って長野にある実家を出た日を長女は今も覚えている。

 15年11月、帰省した長女は驚いた。地元教会の信者が毎日のように女性を訪ねて来たからだ。何人かが入れ代わり立ち代わり来ては、女性をどこかへ誘い出そうとした。

 後に知ったが、帰省直前、女性は教会の信者に連れられ、公証役場で「返還や賠償請求を一切行わない」とする念書に署名をしていた。

 「だから教会は、母を私となるべく接触させたくなかったのでしょう」。当時、長女は帰省の度に女性の衰えを感じていた。

 何のためか分からないのに印鑑登録をして、勧められるまま訪問販売の契約をした。教団に限らず、誰かに何かを言われると、何でも受けてしまうようだった。

 自分がずっと長野にいることはできない。でも実家で一人にはしておけない――。11月中旬、長女は女性に「和歌山の知人宅に行くよ」と言って連れ出した。

 電車を乗り継ぎ、新大阪駅についた時だ。長女がコンコースで乗り換え先のホームを探している隙(すき)に、女性は一人でどこかへ行ってしまった。

 遠くに背中を見つけたが、呼んでも止まらない。人混みの中、長女は2人分の荷物を抱えながら必死に追いかけた。行く先も分からないまま、女性はただ歩いていた。

長女の実家に今も残るリンゴの木がつけた花=長野県で2021年5月撮影(長女提供)

 「そこまで老いているのかと怖くなりました。母はもう限界でした」。和歌山に着いた半年後、女性はアルツハイマー型認知症と診断された。

 さらに4カ月後、長野に戻った女性は老人ホームに入った。「本当は住み慣れたあの家で過ごさせてあげたかった。でも、そうさせてあげられなかった。教会から母を守るために」

 今回の最高裁判決で「うれしい」と思えることがある。判決が、献金を誘う際の違法性について明確な基準を示したことだ。「この判決が母の件だけでなく他の被害者の救済に役立てばすごくうれしいです」と長女は言う。

 実家の庭には、女性の夫(故人)が丹精を込めて育てたリンゴや桃の木がわずかに残る。所有していた田畑の大半は、献金のために女性が売ってしまった。

 残った木々は、春になると今も花を咲かせる。

 最高裁判決は、提訴した7年前からずっと望んできたものだった。教団との裁判は、まだ続く。

 それは、亡くなった女性の尊厳と、親しんだ故郷の風景を守るための闘いでもある。【春増翔太】

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