九州5県で災害関連死を含め81人の死者・行方不明者を出した2020年7月の九州豪雨で、被害が最も大きかった熊本県内の応急仮設住宅で暮らした後に退去した被災世帯のうち、約2割が、元々住んでいた市町村の外に転居していたことが県への取材で判明した。県が再建場所を把握できていない被災世帯も多く、流出数はさらに増えるとみられる。九州豪雨から4日で4年。家屋などに大きな被害を受けた世帯で、生まれ育った地域で生活を再建する難しさが改めて浮き彫りとなった。
熊本県は大規模な氾濫があった球磨(くま)川流域を中心に、県内7市町村で応急仮設住宅(建設型と賃貸型)を設置したほか、公営住宅を開放。21年1月末のピーク時で計1814世帯4217人が入居した。24年6月末現在、217世帯412人が残る。
県によると、応急仮設住宅の入居者はこの4年間で1489世帯が退去しており、このうち18・7%の279世帯が被災前の居住自治体外に転居していた。公営住宅に入居した222世帯については転居先を把握できていないほか、応急仮設住宅を経ずに被災地を離れた被災者も多数いる。
被災地の多くは高齢化率が高く過疎化も進んでおり、被災自治体などは被災者の自治体外への流出理由について、道路や橋、鉄道の復旧の見通しが立たず通勤通学や買い物など生活の足の確保が困難▽医療機関がなくなった▽安全の確保が難しい――などを挙げる。山間地では住宅を建てられる平地が限られるうえ、土地のかさ上げ工事に時間がかかっていることも影響しているとみられる。
球磨川沿いにある熊本県芦北町白石地区では、被災前の二十数世帯から11世帯に減った。3年前から区長を務める鎌畑良一さん(61)によると、地区から完全に生活の拠点を移したのは8世帯。うち半数は仮設住宅で生活再建を始め、顔なじみがそろう地区内で再建する心づもりがあったとみられるが、鉄道の不通が長期化するなど、生活の不便さから親族がいる熊本市内などに拠点を移したという。鎌畑さんは「被災をきっかけに地区は大きく変わってしまった」と嘆く。
災害復興に詳しい関西学院大の山泰幸(よしゆき)教授は「辛うじて人口を維持していた地方で、被災を機に人口が流出する例は各地で起きている。1月の能登半島地震にも言えることで、集落によってはほぼ消滅するようなところが出る恐れがある」と指摘。「住んでいなくても被災地域と関わってもらって『関係人口』を増やすなど、地元住民が地域の未来をどうしたいかについて行政と積極的に話し合っていくことが大事になる。自治力を発揮する機会ともいえる」と話す。【山口桂子、西貴晴】
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