福岡県宗像市の宗像漁協(組合員約400人、本所・同市鐘崎(かねざき))が今月、能登半島地震による被災から半年が過ぎた石川県輪島市海士(あま)町の復興を支援する募金活動を本格化させた。宗像市は海女漁で450年以上前から海士町と縁があり、八尋時男組合長(71)は「早く出漁できる環境を整えてあげたい」と話している。
宗像漁協によると、「日本海沿岸の海女発祥の地」とされる筑前国鐘ケ崎(現在の宗像市鐘崎)は、古くから海女たちが好漁場を求め日本海側各地に出漁。1569年には男女13人が能登半島に上陸し、漁期だけの滞在から次第に定住するようになった、とされる。
今年1月の被災後、海士町との縁を知る関係者が「何らかの支援ができないか」と八尋組合長に申し出た。同町には宗像大社(宗像市)が起源の奥津姫(おきつひめ)神社があり、八尋組合長と宗像大社の葦津敬之(あしづ・たかゆき)宮司が海士町自治会に義援金を贈ることで一致。宗像市も輪島市のふるさと納税の「代理寄付」を受け付けることで事務負担軽減を図り、4月に宗像漁協が約460万円、宗像大社が約100万円の募金を海士町自治会に、宗像市が代理寄付金約1210万円を輪島市にそれぞれ贈った。
4月に募金を持参した八尋組合長らが目にした被災地は、先の見通せない状況だった。海底隆起で出漁できない漁船群、倒壊した奥津姫神社……。4カ月を経てもなお復旧のめどがたたない現状に、八尋組合長らは最低3年は義援金を送り続けようと決意。6月15日に漁協や宗像大社、市の関係者ら約30人が漁協に集まり、市内の材木店が無償提供したスギで募金箱50箱を作った。
「450年前、鐘崎の海女たちが移住した海士町への復興にご協力をお願いします」。募金箱にはこう書かれたシールを貼り、漁協や宗像大社、市の関連施設に7月1日から設置。八尋組合長は「しばらく互いの交流はなかったが、現地で『うちの本家は鐘崎』と言う海女がいた。被災は決してひとごとではない」と話す。宗像市も2日、代理寄付を2025年3月まで延長することを明らかにした。
自宅が全壊して賃貸アパートで暮らし続ける海士町自治会会長の漁師、橋本拓栄さん(51)は「本当にありがたい。いつになるか分からないが、復興の暁にはぜひ宗像を訪ね、直接お礼を言いたい」と話している。【荒木俊雄】
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