1983年に沖縄アクターズスクールを立ち上げ、沖縄から音楽で日本を席巻したマキノ正幸さん(享年83)の死去に、スクール出身のアーティストからしのぶ声が上がった。(社会部・大野亨恭、吉田伸、勝浦大輔)

沖縄アクターズスクールを創業したマキノ正幸氏=2019年3月6日

 「DA PUMP」のISSAさんは「恩師と言う言葉では伝えられないほど偉大な校長でした。僕みたいなクズを拾ってくれた事は感謝してもしきれません。ありがとうございました」と感謝した。

ISSAさん(提供)

 「MAX」を代表してNANAさんは「厳しくも温かく、たくさんのことを教えてくれた。歌やダンスだけじゃなく、どんな逆境にも負けない強い心で生きていく術を学んだ」と回顧。「出会えたこと、今いる場所へ導いてくれたこと、感謝の気持ちでいっぱいです」との言葉を寄せた。

MAX(提供)

 知念里奈さんは幼い頃、マキノさんに声をかけてもらったことを契機に表現をする楽しさを知ったという。「引っ込み思案だった私を見つけ、『前に出なさい』と言い続けてくださったありがたさを今かみ締めている」と振り返った。

知念里奈さん(提供)

 「SPEED」で活躍した今井絵理子参院議員は「アクターズは沖縄の子どもたちに夢と希望を与え、沖縄へのイメージを一新しました。文字通り沖縄と内地の架け橋となった校長の功績は計り知れません。ありがとうございました」と思いを込めた。

 10代の頃、歌手を目指し同スクールに通っていたタレントの魅川憲一郎さんは、直接のレッスンを「貴重な体験だった」と懐かしむ。昨年、同スクールがマキノさんの娘の牧野アンナさん主導で再始動したことに触れ「新たな幕開けの歴史が動き出した時に、旅立たれるというのは寂しい」とコメントした。

 アンナさんは自身のインスタグラムで「父は私の師であり、道しるべでした。自分勝手で奔放でめちゃくちゃな人でした」とつづった。「あなたが人生を懸けて築きあげた沖縄アクターズスクールからたくさんの子供達がそのスピリッツを胸にそれぞれの見つけた場所で輝き、頑張っています。これからもしっかりと守り継いでいきます」と誓った。

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