前橋市で幼少時代を過ごし、太平洋戦争最後の首相として敗戦に臨んだ鈴木貫太郎元首相(1868~1948年)の孫で音楽評論家の鈴木道子さん(92)=東京都在住=は17日、前橋市で毎日新聞などの取材に応じ、祖父の一番の思い出として死の直前の様子を語った。千葉県の自宅で一時意識が戻り、「永遠の平和、永遠の平和」と絞り出した後、昏睡(こんすい)状態になり、逝去した。道子さんは「自分の生命のすべてをかけ、終戦を成し遂げた」と振り返った。
道子さんを抱っこしながらよく遊んでくれた優しい祖父だった。36年の「二・二六事件」で陸軍青年将校に襲撃された際、一時は脈も失ったが回復し、45年、枢密院議長から首相に就任した。戦争末期での就任に家族は大反対したが、本人は覚悟を決め、先にイタリアで連合国軍に降伏していたバドリオ政権を念頭に、「自分はバドリオになる」と家族にだけ語っていた。
道子さんは茨城県に疎開した後に東京の自宅に戻り、今度は秋田県への疎開が決まった。「どうしても東京に残りたい」と訴えたが、祖父に「友達と秋田へ行きなさい。若い人は安全な所に行き、次の時代を築いていかないといけない」と説得された。戦後を想定した「次の時代」の言葉を「今も鮮明に覚えている」という。
「当時は『勝つ』以外はない。平和や終戦が否定され、終戦を進めれば殺されても仕方ない風潮だった」。実際、終戦時に東京の自宅は不満を持つ民衆に火を付けられ、全焼した。それでも祖父は戦後、憲法を審議する枢密院議長に復活し、戦争を放棄した9条に敬意を払っていたという。道子さんはロシアのウクライナ侵攻やイランによるイスラエル攻撃で中東情勢が緊迫化する現状について「戦争を始めるのはたやすいが、終わらせるのは非常に難しい。祖父は世界が平和でないといけないと考えていた」と訴えた。【田所柳子】
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。