署員に「崇高な使命、職務を貫いて」と伝えた福島敏広さん=福岡市博多区で2024年5月22日午前9時27分、柳瀬成一郎撮影

 2004年12月~05年1月に起きた福岡3女性連続殺害事件の被害者の一人、福島啓子さん(当時23歳)の父敏広さん(67)=北九州市小倉北区=が事件を捜査した博多署で講演した。昨秋に活動をスタートした講演は警察署を中心に6回に上る。事件から19年を経て、寄り添ってくれた捜査員への感謝と共に、被害者遺族として署員約150人に「市民の命を守るという崇高な使命、職務を貫いてほしい」と伝えた。

 客室乗務員(CA)を夢見ていた啓子さんは、福岡空港で航空機への乗降に使う「旅客搭乗橋」の着脱などの地上支援業務をしていた。事件は05年1月18日朝に発生。福岡市東区の自宅から出勤途中に惨劇に遭った。

 敏広さんは「人との出会いを大切にした娘の足跡を残し、夢を語り合う場にしたい」とする手紙を福岡市に出し、23年1月、殺害現場の大井北公園(同市博多区)は「夢を語る公園」という愛称が付けられた。そして、知人の記憶に残り続ける娘の生き方を、講演を通じて多くの人に伝えようと活動を始めた。

 5月22日にあった講演では冒頭に「感慨無量です」と話し、事件から19年が過ぎて、初めて公の場で犯人逮捕の思いを博多署員に伝える機会となったことに感謝した。

福島啓子さん=父福島敏広さん提供

 事件後は、命を絶って啓子さんがいる天国に行こうかと考え続けた。啓子さんは連続殺害事件の3番目の被害者だっただけに「あの日、公園そばにパトカーがいてくれれば」とも思った。署員には「尊い命を救うため、一分一秒でも皆さんの制服姿、パトカーの赤色灯を早朝、深夜を問わず街中で見せてください。切なる願いです」と語り掛けた。

 容疑者が逮捕されるまでの約50日間は、唯一の頼りが博多署だった。足しげく訪れ、捜査の進捗(しんちょく)を聞きに行った。捜査員らは礼儀を尽くし、常に丁寧に寄り添ってくれ、唯一の安らぎの場だった。「(容疑者かもしれない)男を確保しています」と深夜に連絡があった時は全身が震えて鳥肌が立ち、涙がこぼれ落ちた。そして「本当に、本当に警察を信じ、頼って良かった」と思えた。

 最近は、啓子さんの知人らに支えられて生きていることを実感しているといい、「講演活動を通じて若い人に事件事故の悲惨さと、夢を持つことの大切さを伝えたい」。最後に「私の心からの叫びを聞いてください。もう一度、我が子、啓子に会いたい」と訴えた。【柳瀬成一郎】

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