「原爆投下に苦しんでいるのは日本人だけではない」。韓国で暮らす原爆被害者らは2026年5月、米ニューヨークで原爆投下の犯罪性を裁く「原爆国際民衆法廷」の開催を計画している。その前段階として、8日に広島で被爆者や弁護士らと民衆法廷に向けた議論を進める予定だ。
2026年に米ニューヨークで
来日するのは韓国の被爆者約100人。8日に、中区の広島国際会議場で討論会を開く。国際法から見る原爆投下の犯罪性や韓国人被爆者にとっての歴史的意味について日本の被爆者や各国の大学教授も交えて議論する。前日の7日には、韓国原爆被害者の慰霊碑や原爆資料館を訪問する。
韓国の民衆法廷の活動は、15年の核拡散防止条約(NPT)運用検討会議で、被爆者が原爆投下の不法性を訴えたのが始まり。日本の被爆者と比べて国際社会の関心が低いが、現在も後遺症に苦しむ人を助けようと活動が始まった。原爆投下の法的責任を問うことは難しい。それでも、核兵器の不法性を伝えるだけでなく、今後訴訟を起こすための方法を探ろうと民衆法廷を開くことを決めた。
過去に日本の被爆者が開く
民衆法廷は過去に日本の被爆者たちによって開かれたケースがある。06年には「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」が広島市中区の原爆資料館であり、長崎や広島の被爆者たちが証言台に立った。トルーマン元米大統領や原爆投下に関与した米将官ら15人を国際法違反などで「有罪」とする判決を言い渡し、被爆者への謝罪・賠償、核の不使用、核廃絶の努力などを求めた。
一方で、実際に米政府への提訴は実現しなかった。当時実行委員会のメンバーの一人は「民衆法廷は集会のような形となり、本格的な訴訟を起こすのは難しかった」と振り返る。韓国被爆者たちは、8日の討論会では06年の参加者から反省点やアドバイスをもらう。
韓国の実行委員会は、20年からセミナーや被爆者の証言会などを複数回開催。また昨年6月には韓国南部の陜川(ハプチョン)で1回目の国際討論会を開き、国際法上の不法性や韓国人被爆者から見た政治的・軍事的意味について約170人の参加者で議論を重ねた。
「世界は危険性認識を」
民衆法廷に参加する原告の1人でソウル市在住の被爆者のイ・キヨルさん(79)は「二度と同じような過ちを世界で犯さないために、核兵器の危険性をしっかりと認識してもらいたい」と話す。
キヨルさんは1945年3月に広島市で生まれた。爆心地から約2キロの自宅で家族6人と朝食中に原爆が投下された。当時の記憶はないが、屋根が吹き飛ばされ、四方八方から悲鳴が聞こえてきたという話を両親から聞かされたという。
同年11月には家族と船で帰国。朝鮮戦争が勃発したこともあり、苦しい生活を強いられた。キヨルさん自身は、皮膚炎や喉に水袋ができて何度も手術した。現在でも鼻の痛みによる睡眠障害が残る。
13年6月に被爆者手帳を取得するため、被爆後初めて広島に訪れた。その際原爆資料館や原爆の子の像を見て、原爆の悲惨さを強く感じ、言葉にできない感情に襲われた。そして「改めて反核、平和のために活動したい」と強い思いに駆られ、支援活動を始めた。
キヨルさんは来日を前に「韓国人被爆者たちは長年苦しんできた。核なき世界の実現のため、日本の方とも協力していきたい」と話した。【井村陸】
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