太平洋戦争時の1944年、日本の委任統治領だった旧南洋群島で、日米の激しい戦闘の犠牲になった県出身者を悼む「慰霊と交流の旅」の一行が30日午前、那覇空港を出発した。23~93歳の戦争体験者やその家族ら25人が沖縄から参加。1日にテニアン島の「沖縄の塔」、2日にサイパン島の「おきなわの塔」をそれぞれ参拝するほか、現地の人と交流する。

 那覇市の多和田眞久さん(87)=那覇市=は約40年ぶり、2度目の旅。共にサイパンの戦争を体験し、3年前に亡くなった弟の眞清さんの写真を持参して参加する。

 眞久さんは7歳の時にサイパンで戦火に巻き込まれ、父や姉が犠牲に。胸のあたりに弾を受けて重傷を負った母も病院に運ばれたまま、戻ってこなかった。収容所で一番下のきょうだいも亡くなった。戦後、眞清さんと沖縄に引き揚げ、祖母らに育てられた。「またサイパンに行きたいけど、今回の旅で最後になるかね」とつぶやいた。

 眞清さんの娘で、眞久さんのめいに当たる山内幸代さん(53)=宜野湾市=は「みんな幸せに頑張っています。見守って下さい」との思いで、現地で手を合わせる。

 旅は国際旅行社(那覇市、與座嘉博社長)が主催。那覇空港での出発式で、旧南洋群島から引き揚げた人らでつくる「南洋群島帰還者会」の上運天賢盛会長(92)は「兵隊は国を守ることは義務でも、住民を守ることは義務としていなかった」と戦時中を振り返った。「亡くなった人の御霊を慰め、住民との親睦を深めてくれることを期待しています」とあいさつした。(社会部・當銘悠)

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