日本の男性コーラスグループの草分け的存在である「ボニージャックス」のバリトン、トラさんの愛称で親しまれていた 鹿嶌武臣さんが、12日に脳幹出血のために亡くなったことがわかりました。90才でした。

鹿嶌武臣さん



日本歌手協会によりますと、鹿嶌さんは埼玉県さいたま市内の病院に入院中で、12日の午後6時38分に亡くなりました。通夜および告別式については現時点では未定で、決まり次第、改めて周知するということです。

「ボニージャックス」は、1958年に結成。全員が早稲田大学のグリークラブのメンバーで、慶応大学の4人グループ「ダーク・ダックス」とともに男性コーラスグループブームを作りました。

鹿嶌さんはその初期の結成メンバーのひとりで、「北帰行」(1961年)、「ちいさい秋みつけた」「琵琶湖周航の唄」(1962年)、「もずが枯木で」(1963年)などのヒットを続け、小林旭さんとの競作となった「北帰行」では、その年の「日本レコード大賞」をフランク永井さんの「君恋し」と最後まで競い(8票差で次点)、最大のヒット曲となった「ちいさい秋みつけた」では「日本レコード大賞」童謡賞を受賞しています。

さらに1970年の大阪万国博覧会のテーマ曲「世界の国からこんにちは」(1967年発売)を三波春夫さん、坂本九さん、吉永小百合さん、弘田三枝子さんらとともに競作もしました。

2022年、メンバーだった西脇久夫さんが亡くなった後も3人でステージをこなし、昨年の「第50回日本歌手協会歌謡祭」にも元気に出演していました。

7月5日には彩の国さいたま芸術劇場映像ホールにて「鹿嶌武臣の世界」にも出演しましたが、その後 入院。亡くなった12日も、家族が病院に見舞った際は元気で「じゃあまた明日ね」などと会話していましたが、その後 急変し、帰らぬ人となったということです。

【担当:芸能情報ステーション】

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