イッセー尾形の一人芝居「右往沙翁劇場」。(左から)「病院の相談室」「神主による邪気払い」「長年のカンをデータ化!」=大阪市阿倍野区の近鉄アート館(南雲都撮影)

舞台の下手にあるスタンドミラーの前で、真っ赤なスカートスーツに着替えたイッセー尾形が、黙々と自分の顔にメークを施す。次のネタの主人公への変身過程を見せるのは、観客の集中力を切らさない工夫だ。カツラをかぶり、黄色の旗がついた棒を手にすると、無言で舞台中央の暗闇に吸い込まれていった。数秒の暗転。ぱっと明るくなった舞台に立っていたのは、人のよさそうな笑みを浮かべたバスガイド。「お疲れさまでしたぁ。1時間昼休憩になりますんで」。目には見えない「ツアー客」たちとの会話劇が始まる。

市井の人々が主人公

人気シリーズ「雪子の冒険 小樽編」。自作のお面や人形で自称「立体紙芝居」を演じるおじさんの狂気は中毒性が高い=大阪市阿倍野区の近鉄アート館(南雲都撮影)

イッセーの一人芝居「右往沙翁(うおうさおう)劇場」が今月、大阪・近鉄アート館での大阪公演(4月10~14日)を皮切りに始まった。1年かけて全国を回る恒例のツアーで、今回は新作のみ8本で挑む。

学校の先生、入院中のおばあちゃん、売れないシンガー・ソングライター。主人公はどこかにいそうな、現代を右往左往して生きる市井の人々だ。時代に取り残されたり、ちょっと周りから浮いてしまったりする彼らは舞台上で世間への不満も漏らすが、「『批判』はしない。快感になるから」がイッセーの信条。安心して笑える空間が心地いい。

1980年代から一人芝居をライフワークにしてきた。主人公と「誰か」の対話で構成されるが、演じるのは主人公のみ。「誰か」に実体はなく、せりふも発さないのに、観客には姿形や表情までもがくっきりと見えてくる。イッセーの職人芸といえる視線の動きや、せりふの間(ま)が生み出す奇跡で、その刺激的な体験に手を引かれるように、物語の世界に没入していく。

独特の演技法

「バスガイド」=大阪市阿倍野区の近鉄アート館(南雲都撮影)
「負け犬マカロンオンステージ」=大阪市阿倍野区の近鉄アート館(南雲都撮影)
「中学教師」=大阪市阿倍野区の近鉄アート館(南雲都撮影)
「かりあげOL」=大阪市阿倍野区の近鉄アート館(南雲都撮影)

一人芝居は、自分と役が一体になる通常の芝居とは演じ方が明確に違うそう。自分とキャラクターを分けた状態で、「『僕』ではなくそのキャラクターがしゃべっている、という特殊なやり方」だとイッセーは言う。「お客さんは僕じゃなくてこのキャラクターを見ているんだと、せき止めるものがないと、心細くて太刀打ちできない」のも理由だとか。

イッセーが主人公を俯瞰することで、観客の目も主人公に集中していく。両者の視線が交わる一点に、想像力をかきたてる虚構の世界が広がる。

そこで生きる主人公たちにはおかしみと哀愁がにじみ、いじらしい。人間関係や仕事に疲れた私たちの心を優しくくすぐる人間愛に満ちた一人芝居は、1年に1度は味わいたくなる、滋味深い笑いの食卓だ。(田中佐和)

右往沙翁劇場

7月に東京の練馬区立練馬文化センターのほか、関西では10月に京都府立文化芸術会館(京都市上京区)、11月に神戸朝日ホール(神戸市中央区)で上演される。

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