「名古屋 小倉トーストラングドシャ」10枚1050円、20枚1890円、30枚2800円(筆者撮影)この記事の画像を見る(7枚)

いよいよGW。駅の売店や高速道路のSAなどでお土産物を選ぶのも楽しみの1つだろう。しかし、筆者が暮らす名古屋は長い間、“お土産不毛地帯”だった。坂角総本舗の「ゆかり」と赤福の「赤福餅」が人気ランキングの1位を争い、その後を春華堂の「うなぎパイ」が追いかけるという状態が長い間続いていたのだ。

赤福は伊勢で春華堂は浜松である。坂角総本舗も本社は愛知県東海市だ。厳密に言えば、これらは名古屋土産とは呼べないのではないか。

名古屋めしのブームとともに商品を開発

JR東海リテイリング・プラスによると、2024年3月の名古屋駅における人気お土産ランキングの1位は「ゆかり」で、2位は「赤福餅」。と、ここまでは以前と変わらないが、東海寿の「名古屋 小倉トーストラングドシャ」(以下、小倉トーストラングドシャ)が4位の「うなぎパイ」を抑えて3位にランクインしている。洋菓子部門では堂々の1位である。

実は、筆者も県外へ出張するときに必ずと言ってもよいほど小倉トーストラングドシャをお土産に持っていく。手渡された人の大半は、小倉トーストの写真が載るインパクトのあるパッケージを見ると、「名古屋は小倉トーストが有名ですよね」と言う。それが会話の糸口になるのである。筆者にとっては雰囲気を和ませて取材をスムーズに運ぶためのツールと言っても過言ではないのだ。

しかし、小倉トーストラングドシャについて何を知っているのかと言えば、実は売れているということ以外に何も知らない。そこで販売元の東海寿を訪ねて話を聞いてみた。

対応してくださったのは、支配人の小村祐二さん。支配人とは何とも変わった肩書だが、販売会社の責任者を意味するという。

「弊社は鳥取県米子市に本社がある寿スピリッツの名古屋エリアにおける販売会社として、1989年に設立されました。もともと寿スピリッツは温泉旅館を訪れるお客様向けのスイーツのギフトを作っていました。旅館へ来て最初に口にするのは部屋に用意されたお菓子であり、それが美味しかったらお土産に買ってもらえますし、旅館の利益にも繋がるわけです」(小村さん)

東海寿が最初に手がけた商品は「金鯱(きんしゃち)物語」というお菓子。商品名こそ名古屋をイメージさせるものの、中身はというと、全国の観光地でよく見かけるバニラとチョコレートのクリームをサンドしたゴーフルだったという。

考えてみれば、当時はまだ「名古屋めし」という言葉もなく、豆味噌やたまり醤油を多用した名古屋の食文化がキワモノ的に捉えられていた時代である。ゆえにパッケージだけ名古屋らしいお土産物が主流だったのである。

純系名古屋コーチンの肉とダシも入っている「手羽先せんべい」18枚864円、30枚1390円(筆者撮影)

2002年になり、名古屋めしのブームが起きると、それに合わせるように新たに「手羽先せんべい」を開発した。

「当時の担当者が名古屋の居酒屋で食べた手羽先の唐揚げの味が忘れられず、店主に頼み込んでわけてもらったタレの味がベースとなっています。発売から22年が経った今でもよく売れています」(小村さん)

当時はマイナーだった小倉トーストに着目

小倉トーストラングドシャの開発に着手したのはもう少し後の2010年。当時は「台湾まぜそば」をきっかけに第2次名古屋めしブームが巻き起こっていた。とはいえ、人気を集めていたのは、やはり飲食店であり、お土産物、とくにお菓子に関してはまだノータッチの状態だった。筆者も駅弁を取材する機会はあっても、お土産物はまったくなかった。

東海寿は味もパッケージも名古屋らしい新たな商品を開発することが急務だった。

東海寿の支配人、小村祐二さん(筆者撮影)

当時、開発を担当したのは4名の社員。毎週、新商品の企画を10案ずつ出していたが、すでに世に出ている商品の焼き直しなどいわゆる二番煎じ的なものが多く、だんだんとネタ切れになっていった。

「今までにないものを作ろうという意識を高めて、街へ出て情報収集をしようということになったそうです。それを繰り返していくうちに発想が豊かになっていき、名古屋の喫茶店で出される小倉トーストにたどり着いたのです」(小村さん)

余談だが、小倉トーストが誕生したのは、1921(大正10)年頃。名古屋・栄の三越の隣にあった喫茶店「満つ葉(まつば)」が発祥の店である。美人と評判のオーナーの娘さんが店で働いていて、彼女を目当てに旧制八高(現・名古屋大学)の学生が大勢押しかけていたという。

名古屋の喫茶店では定番の「小倉トースト」(筆者撮影)

「満つ葉」のオーナー夫妻は大須で製餡業も営んでいたそうで、メニューには「ぜんざい」もあった。食べ盛りの学生たちは、当時ハイカラだったバタートーストとぜんざいを注文し、バタートーストをぜんざいに浸して食べていた。それを見た娘さんがバタートーストにあんこを挟んで出したのが小倉トーストだったのだ。

言うまでもなく、現在、小倉トーストは名古屋めしの1つとして認知され、県外からも多くの人が食べに来るほど。小倉トーストラングドシャの開発が始まったのは2010年。当時はひつまぶしや味噌煮込みうどん、味噌カツなどの陰に隠れているような、マイナーな存在だった。もちろん、小倉トーストをモチーフにしたお土産物もなかった。

小倉トーストの見た目と絶妙な味を表現

「開発会議では、饅頭やクランチ、分厚いバターサンドなどさまざまなアイデアが出ました。重視したのは、小倉トーストを商品からイメージしていただくことでした。まずは形を食パンに寄せることにして、四角くて薄く焼き上がるラングドシャを採用しました。マーガリンを用いて風味を出して、食パンの耳に見えるように四隅には焼き目を付けてあるのもこだわりです」(小村さん)

小倉あん風味のチョコレートとラングドシャのバランスが味の決め手(筆者撮影)

ラングドシャにサンドしている、小倉トーストの「あん」の部分は、小倉あんの風味をきかせたチョコレート。色も小倉あんに見えるようにこだわったという。

あらためて食べてみると、チョコ感よりもむしろ小倉あんの風味を強く感じる。また、それを引き立てているのが食パンに見立てたラングドシャだろう。あんの甘さとマーガリンの塩気が相まった小倉トーストの絶妙な味のバランスが見事に表現できていると思った。その背後では開発担当の4名の社員によって試作と試食が繰り返されたに違いない。

小倉トースト系土産のパイオニアとして

お土産物は味や見た目もさることながら、パッケージも売り上げを大きく左右する。それを熟知していただけに小倉トーストラングドシャのパッケージも相当こだわったようだ。

「仮に小倉トーストを知らない方が手にしてもご理解いただけるように、外装にも小袋にも小倉トーストの写真を載せました。パッケージのベース色も小倉あんを連想させる紫で統一することで高級感を演出することができました。さらに名古屋のシンボルである金シャチをあしらい、インパクト充分なパッケージに仕上がりました」(小村さん)

こうして1年の開発期間を経て、2011年5月に発売された。小倉トーストという今までにない名古屋土産の新たなジャンルを確立した瞬間でもあった。発売当初は瞬く間に売れて、補充が追いつかず品薄になることもあったという。

洋菓子のお土産では不動のナンバーワンをキープし続けている(写真:東海寿)

駅の売店や高速道路のSAには小倉トーストをイメージした商品がズラリと並んでいるが、小倉トーストラングドシャが一歩どころか二歩も三歩も抜きん出ている。それもそのはず、販売から13年で累計1億3000万枚を突破し、今でも1日平均4万枚が売れているというのだ。

その後、東海寿はラングドシャの生地にエダムチーズとパルメザンチーズを練り込み、チーズの塩味が小椋の甘さをより引き立てた「名古屋 小倉トーストラングドシャ Wチーズブレンド」や、「小倉あんパフェ」をイメージした厚焼きサンドクッキー「名古屋 小倉あんパフェサンド」など続々と発売。小倉トーストラングドシャで培った経験と技術を如何なく発揮している。

左から「名古屋 小倉トーストラングドシャ Wチーズブレンド」9枚990円、「小倉トーストタルト」4枚950円、「名古屋 小倉あんパフェサンド」6枚910円(筆者撮影)

中でも注目したいのは、昨年3月に発売された新商品「小倉トーストタルト」だ。サクサクのタルト生地に小倉あんのチョコとホワイトチョコの2層のチョコを流したトースト型のチョコタルトだが、小倉トースト発祥の店「満つ葉」から暖簾分けをした名古屋で現存する最も古い喫茶店「喫茶まつば」が監修した。これも小倉トーストラングドシャに次ぐ人気商品となっている。

甘い小倉トーストラングドシャを食べた後は、しょっぱいものが無性に食べたくなる。名古屋在住の筆者としては、東海寿にピリ辛の台湾ラーメンかあんかけスパをイメージしたお菓子を開発してほしい。

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