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「利上げ遠のく」の大見出しはいつ?

「利上げ遠のく」「日銀、沈静化を優先」の大見出し。今月起きた株価暴落に関する記事のようにも見える。
実際は1987年、東京株式市場が米ブラックマンデーに直撃された際の新聞である。

日銀は「国内卸売物価の急ピッチの上昇など、インフレ圧力の高まりに対する懸念を前面に押し出し、公定歩合引き上げの機会をうかがっていた。ところが、今回の世界的な株価暴落により、この作戦は“一時タナ上げ”になった」(『朝日新聞1987年10月21日』)。

今回の対応と似ているではないか。やっぱり株価暴落のケースでは同じなんだなアハハッ…、では済まされない。
37年前の日銀によるこの利上げ“一時タナ上げ”が、最終的に日本経済をバブル崩壊という大きな危機に陥れる一因になったからである。

株価暴落はブラックマンデー直撃と同じアメリカ発

東京株式市場では日経平均株価が8月5日に下落幅4451円とブラックマンデー(3836円)を超える暴落が起きたが、16日には38000円台まで回復するなど落ち着きを取り戻しつつある。

今回の日本の暴落はその米ブラックマンデー直撃のケース(1987年)か、それともバブル崩壊(1990年以降)か、どちらにあたるのか。
1987年のケースでは株価は短期で回復した一方で、バブル崩壊では長期にわたって低迷しており、明暗が分かれている。

一連の株価変動の中で下落幅が最大だった8月5日の直前を整理しよう。
7月31日に日銀が政策金利0.25%程度に引き上げて円高が進行した。
米国で31日にFRB議長が「9月の利下げ開始もありうる」と発言するなど経済減速の見方が強まった。
8月1日に半導体大手・インテルが業績悪化を発表し「インテルショック」となった。

日経平均株価は日銀の利上げ当日の7月31日に値上がりした一方で、米国の動きが相次いで以降の8月1日に975円安、2日に下落幅3位の2216円安と値下がりした。
この点を見ると、アメリカ市場による影響が大きいと考えるのが自然だろう。

アメリカ発という意味に限って言えば、今回の株価暴落は37年前の米ブラックマンデー直撃のケースと似た状況なのである。

新NISAの投資家に含み損も NTT株上場の歴史繰り返す

NTT株上場初日 買い殺到で取引成立せず(東京・銀座、1987年2月9日) この記事の写真

今回の暴落で新NISA(少額投資非課税制度)による初心者的な投資者層への影響を気にする向きもある。
実際、投資を始めて早々に含み損を抱えてしまったケースはあるだろう。

37年前にも似たことがあった。1987年2月のNTT株上場だ。
70万人近くとなった株主には“NTT株長者”も出現して、サラリーマンから主婦まで巻き込んだ一大株式ブームが巻き起こった。

10月のブラックマンデーは当然NTT株も直撃した。第2次放出を1987年11月10日に控えていた大蔵省が大手証券各社に買い支えを要請する事態になった。
しかし無理な株価維持は行き詰まり、その後は下げ続けた。身動きが取れなくなった多くの個人投資家はバブル崩壊とともに天を仰ぐことになる。

今回の新NISAによる非課税投資枠拡大は岸田政権が資産運用立国の政策の一つとして主に長期保有の個人投資家を対象としたものだった。
その狙い自体は間違いではなかったが、投資家層のすそ野が広がって結局、資金的余裕の少ない人まで多額で参加することとなり、短期の市場変動で動揺せざるをえなくなる。

新NISAによって、かつてのNTT株上場後のブラックマンデーと同じ立場に置かれた人たちが作り出されたと言える。

今回もまた…利上げ“一時タナ上げ”の流れ

こうした中、日銀の内田副総裁は8月7日の会見で「市場が不安定な状況の時に利上げするということはない」として、金融正常化と超円安状況からの脱却への歩みを遅らせるようにも受け取れる発言をした。
これが冒頭にも紹介したブラックマンデーの際の日銀の利上げ“一時タナ上げ”と同じ流れに見える。当時はドル安に対し今は円安で事情は異なるが、いずれも為替市場を視野に入れたものだ。

日銀・内田副総裁「不安定な状況で利上げせず」(2024年8月7日、北海道・函館市)

もちろん今回の暴落は日銀の利上げも一因になっている。それがFRB議長発言と相まって為替市場に強く働いた面がある。

ただ日銀による金融正常化に向けた動きで円相場が上昇するのは当然のことだ。そもそも利上げの狙いの一つが内外金利差によって生じた超円安による輸入物価の上昇を抑えるためだからである。
それを横目に織り込みながら、株式市場は今年初め以来動いてきた。したがって植田総裁の会見での発言を含めて「ショック」でも何でもない。為替市場のスピード感への見方が甘かったということだ。

今回の暴落はアメリカ発という意味で1990年以降のバブル崩壊とは異なるとしたが、“人工的バブル”には影響した。株価のうちアベノミクス・黒田バズーカによる超金融緩和政策によって作り上げられていた部分だ。
すでに日銀は3月にETF新規買い入れを終えたことで事実上セーフティーネットではなくなっていた。人工的バブルを早期に解消し、金融正常化の上では避けられない調整の面があったと言える。

日銀は“株価の番人”に逆戻りするのか

ブラックマンデー直前の1987年10月2日、日銀の澄田総裁(当時)は会見で「物価は十分注意が必要な状況であり、金利を上げないと、内需拡大が続かないということもありうる」(『朝日新聞1987年10月3日』)と発言していた。
それが10月20日のブラックマンデー直撃の際に利上げを“一時タナ上げ”し、米国との政策協調の名目も重なって、短期金利の低下も容認するなど金融緩和姿勢を維持する立場を明確にしていく。

利上げのタナ上げは一時では終わらず、国内では好況に加え低金利による資産ブームと財テクがどんどん拡大する中、利上げをしないまま1989年まで行ってしまう。
この手遅れがバブルを極限まで大きくなるのを放置し、後の崩壊を国家的危機にまでしてしまった。日銀の戦後最大級の失敗の一つという見方もできる。

その教訓は生かされるのか。
今回、アメリカ市場の情勢は不透明だが、人工的バブルの解消を含めた調整を消化すれば、日本の株価は“自然体”の水準に戻って再び動き出すだろう。
一方で為替市場はドル安の37年前とは逆に、依然として超円安で物価高の懸念がある状況は解消していない。物価対策は政権の帰すうさえ左右しかねない国民的大問題だ。

日銀が一時的な市場激変への対応を取るのはやむをえない面があるにせよ、超金融緩和時の「株価の番人」に逆戻りしてしまい、「物価の番人」としての利上げの方向性や判断時機を誤らないか。今後の政策運営が正念場となる。
(テレビ朝日デジタル解説委員 北本則雄)

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