2008年8月27日に施行された「宇宙基本法」。

この附則第2条で「宇宙政策の中心を内閣府へ移行する作業を1年以内に実施する」ことが求められていたが、1年では終わらず、4年かかった。

その背景には権力闘争と体制改革があった。

一方そのころ世界ではスペースXを筆頭に宇宙開発が進められ、変革を起こしていた。科学ジャーナリスト・松浦晋也さんによる著書『日本の宇宙開発最前線』(扶桑社新書)から一部抜粋・再編集して紹介する。

内閣府への移行が4年かかる

この宇宙基本法が、2024年現在の日本の宇宙開発体制の基本となっている。

その内容は、宇宙政策として国が行うべきことを定めたものだ。

第14条に「安全保障に資する宇宙開発利用を推進するため、必要な施策を講ずる」と、安全保障用途での宇宙の利用を明記したことで、情報収集衛星の位置付けが明確になった。

さらに、第35条で「政府は、宇宙活動に係る規制その他の宇宙開発利用に関する条約その他の国際約束を実施するために必要な事項等に関する法制の整備を総合的、計画的かつ速やかに実施しなければならない。」と、今後の宇宙民間利用の拡大に向けて、国に法律の整備を義務付けた。

制度面では国の政策の基本文書として宇宙基本計画を作成すること(第24条)、内閣総理大臣を長とし、閣僚をメンバーとする宇宙開発戦略本部を設置すること(第25条)としている。

第32条は、「本部に関する事務は、内閣府において処理する」と、内閣府を宇宙政策の要とすることを明確化した。かつての総理府・宇宙開発委員会の事務を科技庁が担当したことで、科技庁中心の宇宙開発体制が成立したのと同じである。

宇宙基本法は、附則第2条で「政府は、この法律の施行後一年を目途として、本部に関する事務の処理を内閣府に行わせるために必要な法制の整備その他の措置を講ずるものとする。」と、宇宙政策の中心を文科省から内閣府へ移行する作業を1年以内に実施することを求めていた。

が、これが大変な難題だった。1年では済まず、4年かかったのである。

経産相と文科省の権力闘争

その間に起きたのは内閣府への出向者を中心とした経産省と文科省の権力闘争だった。

文科省は権限を削られまいと粘り、政治を背景とした経産省が文科省の権限を内閣府に持ってこようとする。

内閣府の宇宙関連の椅子を経産省からの出向者でおさえれば、経産省が有利になるという計算だ。これは「経産省と文科省の対立を、体制改革に利用する」という政治の読みの通りの展開であった。

内閣府への出向者同士で権力闘争が起きた(画像:イメージ)
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内閣府に行政の中枢となる宇宙戦略室と、審議機関の宇宙政策委員会が設立され、新体制が動き出したのは2012年7月のことだった。

新たな体制は、徹底して「宇宙の実利用」「政策のツールとしての宇宙」を押し出した。

旧科技庁が推進していた技術開発は「技術開発のための自己目的化した技術開発は不要」と抑圧され、新たな技術開発計画の立ち上げは極度に困難になった。

H-ⅡAロケットに続く新ロケットの開発も、「H-ⅡAを大量生産して打ち上げれば済むことだ」と何年も計画化を引き延ばされた。

宇宙技術開発の変革が起こる一方で日本は…

ところで、この日本の体制改革の推移と、米スペースX社の新技術開発とを重ね合わせてみよう。

中央官庁再編が2001年、スペースXの起業が2002年、JAXA発足とH-ⅡA6号機の打ち上げ失敗が2003年、ファルコン1の初の打ち上げ成功と宇宙基本法の成立・施行が2008年、ファルコン9初打ち上げ成功が2010年、試験機「グラスホッパー」による第1段回収再利用に向けた飛行試験開始と内閣府・宇宙戦略室と宇宙政策委員会の設置が2012年。

スペースXがアグレッシブな技術開発で今までに存在しなかった新たな宇宙機を開発し、その技術力で世界の宇宙開発シーンをぐいぐいと変革しはじめた、まさにそのタイミングで、日本は「これまでの日本は技術開発偏重だった、これからは宇宙利用だ」と、体制改革と権力闘争に時間を費やし、新たな技術開発を抑圧してしまったのである。

『日本の宇宙開発最前線』(扶桑社新書)

松浦晋也
ノンフィクション・ライター。宇宙作家クラブ会員。1962年東京都出身。日経BP社記者を経て2000年に独立。航空宇宙分野、メカニカル・エンジニアリング、パソコン、通信・放送分野などで執筆活動を行っている

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