ロシアによるウクライナ侵攻が2022年2月24日に始まってから1000日以上が過ぎた。西部テルノピリ州出身で、結婚を機に三重県鈴鹿市で夫と暮らしている山本ハリナさん(38)は今夏、侵攻後初めて帰国した。最愛の家族との別れも経験しながらも、日々懸命に生きる市民と触れ合い、改めて平和への思いを強くした。
ハリナさんは7月上旬、ウクライナで一人で暮らす母・ハンナさんに会うため、3年ぶりに帰国した。ポーランドで働く息子を頼らずに「ママはウクライナで死ぬ」と言って、侵攻後も自宅にとどまっていたハンナさん。「眠れない」など不安を漏らしていたことから、心配したハリナさんは「行くのは危ない」という夫を説き伏せ帰国を決断した。
ポーランドからバスで12時間かかった。ウクライナに入国すると至る所に土のうが積まれ、写真を撮ろうとすれば、待機する軍人から「情報が漏れるからダメだ」と注意を受けながら、ようやくたどり着いた我が家で、ハンナさんと再会を果たした。
ただ、再会を喜び、積もる話に花を咲かせたのもつかの間だった。帰宅して5日後に、ハンナさんは体調不良を訴えて病院へ行くと、十分な治療を受けられないまま、ハリナさんの目の前で息を引き取ってしまった。
最愛の母の死に涙に暮れる日々を送っていたハリナさん。悲しみを抱きながらも、母との再会とともに目的としていた支援物資を届けるため、動き出した。日本で開いたコンサートやバザーで募ったウクライナへの支援金でおむつや止血バンド、食糧などを買い込むと、病院や孤児院などを回った。
各施設を巡っていると、戦争で負傷したドネツク出身の元兵士が車椅子で出迎えてくれたこともあった。傷つきながらも、みんなが必死に生きていることを実感する場面だった。
ウクライナには約1カ月半滞在した。電気は1日10時間しか使えず、サイレンが鳴るたびに地下へと避難する生活を体験した。
休暇で戻っていた親戚の兵士とも再会した。戦地のことは話せないと口をつぐんだが、「ミサイルの爆音で耳が聞こえにくくなった」と話していた。30代なのに痩せて老けた姿から戦地の過酷な状況が想像できた。
兵士からは「ウクライナに栄光あれ」と書かれた旗を託された。ハリナさんは「日本に戻ってウクライナの苦しみを伝えなければ」と強く思った。
日本に戻り、4カ月がたった。今もウクライナで暮らす、めいのイロナさんとは毎日のように連絡を取り合っている。12月に入ると、イロナさんの家から歩いて10分ほどのところにある民間のマンションがミサイル攻撃を受けたという。
友人からも連日「ミサイル攻撃を受けた」「水道などインフラが停止している」など惨状を伝えるメッセージが電話や無料通信アプリ「LINE(ライン)」に届き、涙があふれるという。ハリナさんは祖国の現状を憂い、「安全な場所はどこにもない。1日も早く戦争が終わってほしい」と切に願う。
また、日本に住んでいると、ウクライナで起きていることが報道される機会が少なく、惨状を周りの人に伝えようとしても、関心が低くなっているとも感じている。「自分たちの国が同じように攻められたらどうするのか。自分ごととして寄り添ってほしい」と訴える。
ハリナさんはこれまで祖国を思い、日本で同じウクライナ出身の人々とさまざまな活動をしてきた。親戚の兵士から受け取った旗を見ながら、平和な日々が戻ることを強く願い、今後も活動を続ける。【下村恵美】
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