ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の代表団はつい先ほどノルウェーを出発し、帰国の途につきました。これに先立ち、被団協の被爆者がオスロの高校に足を運び、若者たちに被爆の実態を語りました。

記者
「被爆者3人がオスロ市内の高校に到着しました。ノルウェーの民族衣装に身を包んだ教員らに出迎えを受けています」

日本被団協の被爆者3人はオスロの市立高校に到着すると、高校生およそ200人から拍手で迎えられました。しかし、被爆者らが自らの体験を語り始めると、会場は静まり返りました。

「(私は)母親のお腹で3か月の頃に被爆しました」

こう語ったのは、事務局次長の濱住治郎さん(78)です。広島出身の濱住さんは、母親の胎内で被爆した「胎内被爆者」で、原爆投下の翌年に生まれました。

広島で胎内被爆 濱住治郎 日本被団協事務局次長
「核兵器がゼロになり、核兵器の恐怖から逃れるまで、被爆者は安心して死ぬことはできないのです。戦争もない、核兵器もない世界に向かって、皆さん、共に歩みましょう」

こう締めくくると、再び拍手が湧き起こりました。

参加した高校生(18)
「原爆でどれだけ多くの人が苦しんだのか、授業では数字で学びます。でも、それでは一人一人に何が起きたのかまでは分からず、シンパシーを感じることは難しいです。(被爆者の証言により)多くのインスピレーションが得られます」
「被爆者の話は興味深いです。本で読むのもいいけど、経験した人から直接聞くと全然違います。本当に衝撃でした。きょうのメッセージを友達に教えたりして広げていくこと、そして、政治家に対しても伝え続けることが大切だと思います」

日本被団協の代表団は現地時間の12日朝、帰国の途につきます。

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