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ノーベル平和賞の授賞式がノルウェーのオスロで10日午後9時から始まりました。核兵器の廃絶を訴え、“核のタブーの確立”に大きな役割を果たした『日本被団協』にメダルと賞状が授与されました。各地で戦争が起き、核による威嚇も行われるようになった今、世界は被爆者の訴えに耳を澄まさなければならない時に来ています。

■「3歳で被爆…」語り継ぐために

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核兵器廃絶を訴え始めて68年。「被爆者」は今や世界で通じる言葉になりました。そして訪れた、平和賞受賞の時。被爆者の多くが亡くなった今、これが直接世界に訴える最後のチャンスかもしれません。

授賞式に参加する被団協の代表委員・箕牧智之さん(82)。3歳の時、父親を探して入った広島市で被ばくしました。

日本被団協代表委員 箕牧智之さん
「幽霊のような髪はボサボサ、服はボロボロ、履物は履いとるやら履いとらんやらよう分からん、いっぱい歩いてから」

被ばく体験を語り継いできた先輩たちの前で、あの時、3歳と幼かった自分が紡いでいく資格があるのか、悩んだ時もあったといいます。

日本被団協代表委員 箕牧智之さん
「3歳の被爆者と20歳の被爆者じゃ大違い。坪井さんや谷口さんが一番盛んな時に、ノーベル平和賞、委員会が出してくれとったら。今はみんな亡くなられて、あの世へ報告しても現実は届きゃせん」
(Q.それでも活動を続けられる原動力は)
「それは坪井さんが言われたように『諦めちゃだめよ』ということ。私らは一生涯、核兵器の廃絶を訴え続けて、それが実現した日に『ほっぺたつねりなさい』と言われた」

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■“高校生大使”ノルウェーで訴え

“次の世代”も思いをもってノルウェーを訪れていました。

高校生平和大使 津田凛さん(高2)
「私たちがオスロを訪れたのは、被爆者のメッセージを伝え、忘れられないようにするため。原爆の影響は79年経過した今も終わっていません。私たち高校生でも変化をもたらすことはできます」

平和の象徴『折り鶴』を折り、平和な世界をどう実現するか、とことん議論。被団協が受賞したことで、語り継ぐ世代は思いを新たにしました。そこには被ばく4世の姿も。

高校生平和大使 甲斐なつきさん(高2)
「平和な世界を構築したり、核兵器のない世界を構築するには、どういったことが必要だと思う?という議題に対して、皆さんが口をそろえて言っていたのは『対話』『お互いを理解すること』。海を越えても対話だったりお互いを尊重することの重要性は変わらないことを実感しました。これからの人生につなげていきたい」

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■日本被団協 世界へスピーチ

そして、日本時間午後9時から始まった授賞式。平和賞の歴史に、新たな一ページが刻まれました。

日本被団協代表委員 田中熙巳さん
「私は長崎原爆の被爆者の一人です。13歳の時に、爆心地から東に3キロ余り離れた自宅で被爆しました。その時、目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく、苦しんでいる人々が何十人、何百人といました。たとえ戦争といえども、こんな殺し方、こんな傷つけ方をしてはいけないと、その時、強く感じたものです。想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4000発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということ。皆さんがいつ被害者になってもおかしくない。あるいは加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか世界中の皆さんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の被爆体験者として証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代の皆さんが工夫して築いていくことを期待しています。人類が核兵器で自滅することのないよう、核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共にがんばりましょう」

20分間の受賞講演には、核廃絶に向けてたくさんのメッセージや思いが込められていました。

日本被団協代表委員 田中熙巳さん
「(被団協の)運動は“核タブー”の形成に大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう。しかし今日、依然として、ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、またパレスチナ自治区ガザ地区に対し、イスラエルが執拗に攻撃を加えるなかで、核兵器の使用を口にする閣僚が現れるなど “核のタブー”が壊されようとしていることに、限りない口惜しさと憤りを覚えます」

13歳の時に長崎で被爆し、親族5人を亡くした田中さん。自身の被爆体験について、当時見た光景をありのままに伝えました。

日本被団協代表委員 田中熙巳さん
「麓に降りていく道筋の家は全て焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながら、なお生きている人々が誰からの救援もなく放置されておりました。私はほとんど無感動になり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでした」

さらに、講演の最後には世界に向けて“願い”を伝えました。

日本被団協代表委員 田中熙巳さん
「『核兵器禁止条約』のさらなる普遍化と、核兵器廃絶の国際条約の締結を目指し、原爆体験の証言の場を各国で開いてください。とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと、核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付くこと。自国の政府の核政策を変えさせる力になること。それを私たちは願っています」 この記事の写真を見る
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