ウクライナ紛争について「24時間以内に終わらせる」と主張したトランプ次期大統領に対し「まともにとりあう必要は無い」と突き返したプーチン政権。ロシア国内で市民が反戦の声を上げても、たちまち制圧されてしまいます。なぜこうした厳しい対応をとるようになったのか?秘密警察時代のプーチン氏の原点に迫ります。

■6年前に見つかったプーチン氏の“秘密警察”の職員証 大量のスパイ活動記録

6年前に見つかった、1枚の職員証。

そこにはドイツ語で「ウラジーミル・プーチン」と直筆で書かれています。当時、33歳だったプーチン氏の職員証です。

シュタージ文書館 ドレスデン支部長
「とても驚きました。この職員証は、ある資料の束の中にありました。特にプーチン氏のものとは書いてありませんでしたし、そこに挟まっていたとは思いもしませんでした」

長年、保管されていたのは、ドイツにあるシュタージ文書館。

「シュタージ」とは、東西冷戦の時代に旧東ドイツに存在していた“秘密警察”のことです。

ネクタイに小型カメラをつけて盗撮したり、日用品の中にカメラを仕込むなどして一般市民を徹底的に監視。反体制派の摘発や国外での情報工作を展開したほか、数多くの一般市民を情報提供者=スパイに仕立て上げ、暗躍しました。

かつて首都ベルリンにあったシュタージの本部。

秘密裏に活動していたシュタージの「当時の記録」が残された場所にカメラが入りました。

ベルリン・シュタージ文書館担当者
「ここにあるのは非公式情報提供者、スパイに関する文書です」

仁熊邦貴記者
「すごいですね。大量の資料が保管されています。この資料の中には、一般市民の中で誰がスパイだったかが記されているということです」

保管されていたのは約30年にわたる、スパイ活動で集められた記録です。

仁熊記者
「こちらはスパイの履歴書です。この一般市民の方がクヌート・ヤコビという名前でスパイ活動をしていました。スパイになったのは1975年5月14日と書かれています」

この人物の記録には、特定の車を追跡し何時にどの道を通ったのかが詳細に記録されています。

中には、シュタージによって証拠隠滅のために破られた記録も…
 
修復作業が続けられていますが、作業が終わるのは数百年先とも言われています。

こうした膨大な資料の中に紛れていたのが、6年前に見つかったプーチン氏の職員証。それは「シュタージの職員証」でした。

1980年代にソ連の諜報機関である国家保安委員会=KGBに所属し、東ドイツ・ドレスデンに派遣されていたプーチン氏。

職員証を使い、シュタージの施設に出入りしていたと見られ、他にもシュタージの幹部と写った写真など数多くの資料が見つかっています。

KGBとシュタージについて研究 ダグラス・セルベージ博士
「KGBの主な業務は西側のスパイや情報源をスカウトすることでした。(KGBは)シュタージより偉いとされていましたから、シュタージと東ドイツ政府は彼らに仕えたのです」

仁熊記者
「プーチン氏はどんな情報が欲しかった?」

ダグラス・セルベージ博士
「正確にはわかりませんが、西ドイツにある米軍基地に大変関心を寄せていたそうです。アメリカの特殊部隊がそこに駐屯していたのです。彼らの動向を探るために近くに住んでいる人を情報源として探していました」

■市民を銃で脅し…プーチン氏の原点か

仁熊記者
「こちらに古い建物があります。当時のKGBドレスデン支部がここに入っていました。プーチン氏は5年もの間、ここで働いていたとみられています」

アメリカ軍の動向を探っていたとされる、プーチン氏。

当時、シュタージへ宛てたこんな文書も見つかっています。

プーチン氏
「一般市民のスパイと連絡が取れなくなった」「至急支援してほしい」

5年にも及んだ、ドレスデンでの任務。しかし、その終わりは突然訪れます。

1989年11月9日。分断の象徴だった「ベルリンの壁」が崩壊。

民主化の動きが一気に加速しドレスデンでも、市民を監視していたシュタージに対し市民らが抗議の声を上げました。

デモを呼びかけた一人が当時の状況を語りました。

当時デモを呼びかけたヘルベルト・ヴァーグナーさん
「抗議する市民の中には怒っている人がたくさんいました。『自分に対するスパイ行為の文書を見たい』と叫ぶ人がたくさんいました」

抗議の声を上げたのは約5000人。一部はKGBの建物にも向かったと言います。

デモを呼びかけた ヘルベルト・ヴァーグナーさん
「デモの参加者が守衛のところでベルを鳴らすと、私服姿の若い男が門のところに出てきたそうです。男は流暢なドイツ語で『無許可で敷地に立ち入れば、銃を使用していいと命令を受けている』と。そう言って守衛と共に武装していたの男がプーチン氏でした」

ヴァーグナーさんは当時の経験が今のプーチン氏に影響を与えていると話します。

ヘルベルト・ヴァーグナーさん
「プーチン氏が撃つぞとひどく脅すと、市民はみんな逃げていきました。声をあげた市民らを武器で脅すことで、言いなりにするという経験をそこでしたのだと思います」

■今のロシアは「東ドイツと同じ」繰り返される市民への弾圧

2年前にウクライナへの侵攻を始めたプーチン大統領。

ロシア国内では、反発して声を上げた市民への弾圧、拘束が繰り返されています。

こうした光景を自身と重ね合わせるように見ている人がいます。

「シュタージ」に拘束された ハンス・ユルゲン・バートさん
「かつての東ドイツと同じです、恐怖心、恐怖心、恐怖心。東ドイツでは何も言ってはならなかった、今のロシアと同じです」

47年前、バートさんはシュタージに監視される中、「東ドイツの奴隷ではない」というプラカードを掲げ、拘束され勾留施設で4か月半にわたり収容されました。

ハンス・ユルゲン・バートさん
「どんな仕事をし、どこに住み、どこで休暇を過ごすか、自分で決めたかったのです。何もかも国に決められのが嫌だったのです」

ベルリンの壁が崩壊から35年。
当時を生き抜いた市民らは平和や自由、民主主義の大切さを今も訴え続けています。

■若き日のプーチン氏 市民の声 恐れたか ロシア国内弾圧の原点?

喜入友浩キャスター:
取材した仁熊記者によりますと、秘密警察の記録には、「父親がスパイで娘を監視していた」という記録もあって、その後、娘は父親との縁を切ったという話も残っているそうです。

それだけ厳しい統制を敷いていても、秘密警察というのは事実上崩壊した。そして、それを目の当たりにしたプーチン氏は「市民の声に恐怖を感じた」と今回取材したセルべージ博士は分析しています。

ですから、そうした経験や思いが今のロシア国内の弾圧に繋がっているのかもしれません。

上村彩子キャスター:
ウクライナ侵攻に対するデモをする、日本国内に住むロシア人の方に取材をしたことがありますが、ロシアに住む自分の親戚に危害が加えられるかもしれない。そして自分がロシアに戻ったときに逮捕されるかもしれない。日本にいながらも恐怖を抱いて涙ながらに平和を訴えていました。

ベルリンの壁が崩壊して35年が経ちますが、改めて自由や平和の声を上げることができない方がまだいるということを痛感しました。

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