米大統領選が近づく中、トランプリスク(トランプトレード)が意識されている。このところ特に目立っているのが、トランプ氏が関税の引き上げや減税など財政拡張路線を示していることによる「金利上昇・ドル高」のストーリーである。実際に、足元の利下げ予想は変わっていない中で長期金利の上昇が目立っている。市場の金融政策の見通しが変わったというよりは、リスクプレミアムが拡大したと考えた方が良いだろう。もっとも、リスクプレミアムの背景について市場でコンセンサスがあるわけではないとみられる。関税引き上げによるインフレ高進を予想する向きも多いとみられるが、財政リスクプレミアムの拡大と捉える向きや、単純に政策の不確実性をリスクプレミアムと捉えてリスク・リダクションを進めている向きも多いだろう。大統領選の結果そのものが読みにくいため、結果が出れば安心感で債券が買い戻される展開も考えられる。
また、特に関税の引き上げについて、市場はインフレ高進を過剰に不安視しているようにみえる。景気の良し悪しと比べて、インフレの強弱の予想は難しい。その理由は、インフレは需要と供給のバランスで決まるからである。関税を引き上げればインフレになるという考え方は、供給サイドだけに着目すれば正しいのだが、そのときに需要がどうなっているかも考えなければならない。関税を引き上げたことで需要が急速に冷えるようなことがあれば、かえってデフレ的な反応となる可能性もあるだろう。
財政拡張についても金利上昇という結論になるとは言い切れない。財政赤字の拡大そのものは景気を押し上げ、財政リスクプレミアムを拡大させる要因である。しかし、金利上昇が株式市場などリスク資産市場に悪影響を与え、リスクオフの金利低下が市場のテーマになる可能性もある。
市場がどこまで連想していくかによって金利上昇にも低下にも反応し得る。
「需要サイド」の動きは前回上向き、今回下向き
16年の大統領選後のトランプ相場では「金利上昇・ドル高」という結論になったのは事実である。しかし、当時は景気回復局面であり、景気減速が予想される現在とは状況が大きく異なる。足元では米国のリセッション懸念が解消され、短期的には見通しがやや上向いていることから、市場がインフレ高進を意識しやすいタイミングと言えるが、世界経済は下向きリスクが高まっている。関税の引き上げがインフレ的な動きにつながる可能性は高くない。このような見方が広がるのにはやや時間がかかるかもしれないが、実際にインフレ率が上振れなければ、市場のインフレ懸念は解消されていくだろう。
リスク資産市場は米経済の「アキレス腱」であり、米金利の上昇余地は大きくない
米金利の水準についても、16年の大統領選時とは大きく異なる。
当時(16年10月末)は名目長期金利が1.83%、実質長期金利が0.09%だったのに対して、現在(24年10月23日)は名目長期金利が4.24%、実質長期金利が1.92%である。16年当時は多少金利が上昇しても株式市場が不安を高めにくかったが、現在はそうではないだろう。
そもそも、足元の米経済は堅調な金融市場に支えられている面がある。利上げによって低所得者層のカードローンなどの金利負担が増えても、資産効果によって富裕層の消費が堅調を維持しているため、全体としては消費が底堅く推移している面がある。企業の資金調達環境についても、利上げによってリスクフリー・レートは上昇しているが、社債のスプレッドはタイトであり、企業の資金調達環境はそれほど悪化していない。
したがって、仮に金利上昇がリスク資産価格の下落を引き起こせば、米国のリセッション懸念が再び台頭する可能性がある。このような展開が市場参加者の頭をよぎることで結果的に金利上昇圧力は限定的になると、筆者は予想している。
IMFのリスク分析では「関税」は低インフレ要因、「減税」の影響は限定的とされた
IMFが10月22日に発表した最新の世界経済見通し(WEO)では、「『世界経済見通し』をめぐるリスク評価」(Risk Assessment Surrounding the World Economic Outlook’s Baseline Projections)(筆者訳、以下同)というボックスが設けられた。ここでは、世界経済見通しの信頼区間が算出されたほか、リスクシナリオが顕在化した際にGDPやインフレに与える影響をシミュレーションした結果が示された。
具体的に検討されたリスクシナリオについては、①世界的な関税の引き上げ、②貿易政策の不確実性の増大、③米国における法人減税の延長、④米欧における移民の減少、⑤世界的な金融情勢の引き締まり、の5つで、それぞれの影響は以下である。
① 世界的な関税の引き上げについては、「2025年半ばから、米国・ユーロ圏・中国の3地域間の貿易フローに新たに10%の追加関税を課す」というものである。このケースでは、25年の世界経済の成長率を▲0.1%pt押し下げ、26年も▲0.2%pt押し下げ、その後も恒久的に経済を下振れさせるとの試算結果が示された。他方、インフレに与える影響については、輸出品が内需向けに振り向けられることから、消費に与える影響は世界レベルで見ると限定的であり、インフレ率についても影響はニュートラルという結果になった。関税の影響については、輸入品の価格上昇に注目が集まりがちだが、輸出が減少して国内にダブつく影響も考える必要がある。また、米国については、25年、26年の経済成長率をそれぞれ▲0.4%pt、▲0.6%pt押し下げると試算され、成長下振れによる需要の減少によってインフレは25年、26年はニュートラルである一方、27年以降は▲0.1%pt押し下げされるという結果になった。
② 貿易政策の不確実性の増大については、「18~19年にかけての米国における関税の引き上げが将来の貿易方針に対する不確実性を高め、とりわけ製造業の設備投資に悪影響を与えた」ということを前提に推計された。貿易政策の不確実性の増大は、25年の世界経済成長率を▲0.2%pt押し下げ、26年も▲0.4%pt押し下げるとされた。また、インフレについては、25年、26年それぞれベースラインから▲0.1%pt押し下げられるとの試算が示された。米国については、25年、26年の経済成長率をそれぞれ▲0.2%pt、▲0.5%pt押し下げると試算された。インフレは25年、26年それぞれ▲0.1%pt押し下げるという結果になった。
③ 法人減税の延長は、2017年に成立したTCJA(Tax Cuts and Jobs Act)法に関する条項の多くが2025年末に期限切れとなるが、これを10年間延長するというシナリオである。このシナリオでは、米国を中心にGDPをベースラインから押し上げることが示された。他方、インフレについては、米国では+0.1~+0.2%ptほど押し上げるものの、世界全体では、影響は小幅にとどまるとの見方が示された。
④米国とユーロ圏における移民流入の減少の影響については、調整の過程で一時的にインフレ率が上昇するとされたが、徐々に経済の下振れが顕在化し、結果的にインフレに与える影響は小幅なプラスにとどまるとの見方か示された。
⑤世界的な金融情勢の引き締まりについては、言うまでもなく、世界経済およびインフレの下振れ要因とされた。
これらのリスクシナリオの多くは、世界経済の低成長・低インフレに寄与するという分析がIMFから示された。トランプ氏が大統領に返り咲き、強硬な貿易政策を打ち出したとしても、インフレ懸念、金利上昇は続きにくいだろう。
(※情報提供、記事執筆:大和証券 チーフエコノミスト 末廣徹)
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