末期の脳腫瘍患者でスペイン人のカロリーナさん(54)は、緩和ケアを受けられるホスピスで最期の時を迎えようとしていた。
この1か月前の2021年6月、安楽死法が施行されたスペイン。自殺を固く禁じているカトリックの影響が強いこの国でも安楽死法が施行され、ヨーロッパで安楽死を容認する動きが広まっていた。
会話ができないカロリーナさんに代わって、長女が言った。
「母はホスピスで家族とともに穏やかな最期の時を過ごしています。安楽死を選ぶ必要はありません」
一方、交通事故の影響で激痛と闘い続けるラファエルさん(34)は、安楽死法は「心のお守り」と話す。
安楽死について市民はどう受け止めているのか。私はスペインにいる2人のもとを訪ねた。
(TBSテレビ 西村匡史)
生きていたいが 「激痛に耐えられない」
電動車椅子に乗って、私を笑顔で自宅に招き入れてくれたのは、ラファエル・ボテラさんだ。19歳の時に交通事故に巻き込まれて、首から下を動かすことができなくなった。
「四肢麻痺になったのは、自分の忍耐力と使命感を証明するための試練でした。目の前の苦難を絶対に乗り越えてやろうと思いました」
明るく快活な人柄で、事故後にパラシュートで空を飛んだり、自身の人生を描く短編映画を作成したりするなど、旺盛なチャレンジ精神を持ち合わせている。目を輝かせて、私に自身の写真や映画を見せてくれる姿を見ると、重い障害がある事実を一瞬、忘れてしまうほどであった。
生きることに強い意欲を見せるラファエルさんだが、20代後半から耐え難い痛みに悩まされるようになった。「蟻地獄にひきずりこまれたような強い痛み」が胃から全身に広がり、1日中、眠ることができない日もあるという。
「目の前に拳銃があれば、痛みから逃れるために間違いなく引き金をひきます。自分でできなければ、それを介護する母親に頼んだでしょう。四肢麻痺だけならば我慢できますが、激しい痛みには耐えられません」
生きる道選ぶも「安楽死は心のお守り」
ラファエルさんは「生きる道を選びたい」と思う一方で、これ以上、耐えられない痛みに襲われた時のために「安楽死できる選択肢がほしい」として、国に安楽死の合法化を求めてきた。
「安楽死法が成立、施行されてホッとしました。安楽死することで、誰かに罪を負わせることはなくなったのですから。私は死にたいのではなく、生きたいのです。ただ、苦しみに耐えられなくなった時のために、銃創に弾を込めておきたいのです」
一人息子のラファエルさんを介護してきた母親のマリサさん(74)は、最後まで生きてほしいと励まし続けてきた。
「私が議員だったら安楽死法を成立させませんでした。しかし、息子がそれを望むのであれば止められません。彼の命は彼自身が決めることですから」
ラファエルさんは「死ぬ権利は生まれる権利と同じだ」と訴える。
「私は生きることを尊重しているからこそ、なんとか『生』にしがみつきたいのです。痛みに耐えるためには、安楽死の選択肢が残されていることが支えとなっています。安楽死は生きるための『心のお守り』なのです」
安楽死の是非 スペイン国民の 9 割が支持
2021年3月、スペインで安楽死を認める法案が可決された。自殺を戒めるカトリックの多いスペインでは、伝統的に安楽死に反対する声が根強くあった。
しかし、1990年代に事故で手足が麻痺したスペイン人男性が、自ら死を選ぶ権利を主張した法廷闘争を繰り広げた後、友人の手を借りて死を遂げた。
死後、彼をモデルにした映画「海を飛ぶ夢」が公開されて以降、議論が活発化し、2019年の世論調査では国民の約9割が安楽死を支持。死の「自己決定」の権利を求める当事者らの訴えに応えるかたちで、国が安楽死法を成立させた格好だ。
安楽死法は2002年にオランダで初めて施行され、ヨーロッパで次第に広がっていった。法制化されていないが事実上、安楽死が認められる国は、アメリカやオーストラリアの一部の州を含めて、世界で10か国以上に上っている。
「家族の魂」だった母 ホスピスで穏やかな最期の時
私はラファエルさんを取材後、首都マドリードにあるホスピスに向かった。脳腫瘍で余命3か月と宣告されたカロリーナ・オルべ・アラルモさん(54)は、安楽死を選択せずに最後まで生を全うしようとしていた。
脳の損傷で声は出せるが、会話はできないカロリーナさんに、長女のマリアさん(24)が優しく問いかけた。
マリア「この病院に満足している?」
カロリーナ「ええ」
マリア「母が穏やかな気持ちでいるのが伝わってきます。本当によくケアをしてもらっています」
夫と6人の子どもに恵まれたカロリーナさん。常に家族優先で、愛情深く、子どもたち一人ひとりの個性を尊重してくれる母親だという。夫のドミンゴさん(53)は、カロリーナさんについて「家族の魂」と表現した。
脳腫瘍の手術後、がんは全身に転移し、回復が望めなくなったため、緩和ケアを受けられるホスピスに入所した。家族全員が24時間体制で交替しながら、必ずカロリーナさんの側に付き添うようにしている。
ホスピスでは、痛みを緩和して患者が最期の時を穏やかに過ごすこと、そして、残された家族が現実と向き合って死別の準備をすることを、手助けしている。
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