高さ約8メートルの分離壁に、木製のはしごがかけられていた。「行くぞ」。手配師のかけ声とともに、15人ほどの男たちが一斉によじ登る。壁の上部にある鉄条網の隙間(すきま)を抜け、次々と壁の向こう側へ消えていく。
当局に見つかれば、銃で撃たれるかもしれない。それでも、リスクを取るパレスチナ人は後を絶たない。この壁を越えなければ、生きるための金が稼げないからだ。
発端は昨年10月に始まったパレスチナ自治区ガザ地区のイスラム組織ハマスとイスラエルの戦闘だった。イスラエル政府は発生直後、パレスチナ人の「入国」を禁じた。ガザ地区だけでなく、飛び地であるヨルダン川西岸のパレスチナ人たちも、イスラエル側に越境することはできなくなった。西岸では、イスラエルで働いていた約15万人が仕事を失った。
戦闘が始まって1年。西岸では、分離壁を乗り越え、働きに出るパレスチナ人が相次ぐ。手配師の男性(23)によると、エルサレム近郊だけで1日200人近くに上ることもある。「イスラエル側に行きたいという連絡があれば、いつでも準備する。24時間対応だ」
イスラエルと西岸を隔てる分離壁は2002年、「テロ対策」を目的に建設が始まった。全長は700キロあまりで、随所に監視塔もある。
それでも、違法越境は止められない。手配師は壁の両側に複数の見張り役を配置し、警察や軍を見つけたらすぐに中止する手はずを整えている。
イスラエル側では運転手が待機し、越境者を乗せてそれぞれの目的地まで連れて行く。越境の費用は1回50シェケル(約1900円)。越境者は数週間~1カ月ほど働いて、戻ってくるケースが多い。
エルサレム近郊の「越境ポイント」ではこの日、1時間で20人あまりが壁を乗り越えた。初めて臨むムハンマドさん(27)は、成功すればイスラエルの甘味料工場で働くことが決まっている。「見つかれば逮捕されるだろう。でも、我々はハマスではない。ただ、家族を食べさせたいだけだ」
手配師が合図を送った。ムハンマドさんははしごに手をかけ、するすると登っていく。その姿は数秒後、壁の向こう側に消えた。【ヨルダン川西岸で金子淳】
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