パレスチナ・ガザ地区での戦闘が始まってからまもなく1年を迎えるなか、イスラエル軍の攻撃で家族をなくしたパレスチナ人医師が来日し、平和的共存と即時停戦を訴えました。
アブラエーシュ博士
「2009年1月16日、私の娘とめいは何のために死んだのか。娘たちがパレスチナとイスラエルの平和のための最後の犠牲になるのであれば、受け入れようと思った。悲しいことに、痛ましいことに、最後の犠牲ではなかった」
4日、日本記者クラブでの会見でこう語ったのは、ガザ地区北部出身の産婦人科医、イゼルディン・アブラエーシュ博士です。
2009年、自宅にイスラエル軍の砲撃があり、娘3人とめいが犠牲になりました。
砲撃直後のアブラエーシュ氏の悲痛な叫びは、イスラエルのテレビ局で生放送され、衝撃を与えました。
当時、アブラエーシュ氏はパレスチナ人として初めてイスラエルの病院に通い、イスラエル人とパレスチナ人、両方の命の誕生に携わっていました。
娘らを亡くした翌日、アブラエーシュ氏が訴えたのは、憎しみではなく共存でした。
「ガザとイスラエルの架け橋になりたい」と語り、平和を訴え続ける様子はドキュメンタリー映画『私は憎まない』になりました。
世界中で反響を呼び、4日から日本でも公開が始まりました。
ただ、その訴えは届かず、去年10月に始まった戦闘は激しさを増しているのが現状です。
アブラエーシュ氏はこの1年でさらに、妹を含む親族およそ40人をなくしたといいます。
アブラエーシュ博士
「ガザの通りは墓場になっている。ガザは今や生気がなく、自由や夢、未来のない場所へと変わり果てている」
アブラエーシュ氏は、世界はガザで続く戦闘の「共犯者だ」としたうえで、「できることを考え、一歩踏み出してほしい」と行動を呼び掛けました。
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