イスラエル軍が28日に殺害を発表した、イスラム教シーア派組織ヒズボラの最高指導者ナスララ師(64)は、30年以上にわたりイスラエルに対する「抵抗」を率いた人物で、レバノンや中東地域で影響力を持っていた。
ナスララ師は1960年、レバノンの首都ベイルートの貧しい家庭に生まれた。10代のころ、イラク中部ナジャフのシーア派神学校で学び、レバノンに戻ってからシーア派民兵組織に参加。その後、82年に創設されたヒズボラに合流した。87~89年にはシーア派国家イランの聖地コムにも留学している。
最高指導者に就いたのは92年。前任のムサウィ師がイスラエル軍に暗殺されたのがきっかけだった。このころ、イスラエル軍はレバノン南部に駐留を続けていたが、ナスララ師率いるヒズボラは繰り返し攻撃。2000年にイスラエル軍が撤退すると、その空白に進出する形で拠点を築いた。
また、06年にはイスラエル兵を拉致してイスラエル軍のレバノン侵攻を招いたが、約1カ月にわたる戦闘を続け、イスラエル領内にロケット弾攻撃を繰り返した。
ロイター通信などによると、カリスマ的な説法者としても知られ、イスラエルや米国を強硬に非難する語り口は、シーア派住民らの間で強い支持を得てきた。
ただ、公衆の面前に姿をあらわすことはほとんどなく、演説もテレビで流されるのが通例だった。最後の演説は今月19日。ヒズボラの戦闘員らが所有する通信機器が17、18日にイスラエルによるとみられる工作で一斉に爆発したことを受け、「虐殺以外の何物でもない」と非難。イスラエル軍が地上侵攻を検討していることにも触れ、「レバノンに侵入するなら望むところだ。多くの兵士や戦車を標的にできる」などと語っていた。【カイロ金子淳】
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