イスラエルがレバノン各地に激しい空爆を加え、さらに地上侵攻も示唆して緊張が高まっている中東情勢。そのイスラエルと敵対しているレバノンのシーア派組織「ヒズボラ」とはいったいどのような組織なのでしょうか?(解説:秌場聖治 TBSテレビ 元中東支局長)

そもそも「ヒズボラ」ってどういう意味?

「神の党」(ヒズブ・アッラー)という意味です。

どこにいるの?

主に拠点にしているのはレバノン南部、首都ベイルート南部、シリアに近い東部ベカー高原です。

どんな組織?

武装組織としての顔がニュースになることが多いのですが、1990年代からは政治に参加、現在もレバノン議会に議席を持っています。医療や教育、インフラ分野なども手掛けていて、「アル・マナールTV」など、ヒズボラ系のメディアもあります。単なる武装グループではなく活動範囲が広く多岐に渡るので「シーア派組織」という呼び方をしています。アメリカなど複数の政府が「テロ組織」に認定しています。

軍事力は?

戦闘員数は自称「10万人」ですが、米CIAは「予備役」も合わせて5万人程度だと見ています。ただ装備やシリア内戦も含む実戦経験などから戦闘能力はレバノン国軍(7万3000人)より高く、同じくイスラエルと敵対するハマスも大きく凌ぐと言われます。

当初はテロ攻撃やゲリラ戦が中心でしたが、イランの支援もあって軍備を増強し、現在はイスラエル全土を射程に入れるミサイルも保有しているとされます。レバノン内戦終結後、各勢力が武装解除をする中でヒズボラは応じず軍事力を維持、国内でのヒズボラの影響力の大きさもこうした軍事力が土台の一つとなっています。

指導者の「ナスララ師」ってどんな人?

インタビューに応じる ヒズボラ指導者・ナスララ師(2003年)

ヒズボラの第三代書記長で、1992年に先代の書記長が殺害されたことを受けて選出されました。イスラム教の聖職者で、イランで学んだ経験もあります。演説のうまさには定評があり、かつてJNNのインタビューに応じたこともありますが、暗殺への懸念から公の場に姿を現すことはほぼ無くなっていて、今や演説も常に「リモート」です。それでも長年君臨する指導者としてその影響力を保持しています。

イスラエルとの過去の戦闘は?

そもそもヒズボラの誕生にはイスラエルが関係しています。

1982年、イスラエル軍がレバノンに侵攻しました。レバノン南部を拠点にイスラエルを攻撃していたパレスチナの武装組織を駆逐するためでした。結果としてPLO(パレスチナ解放機構)はレバノンを出ていくことになりましたが、イスラエル軍は目的を達成した後も撤退せず、「緩衝地帯」としてレバノン南部の占領を続けました。

このイスラエルの占領に抵抗するため、レバノンの複数のシーア派武装組織がまとまって結成されたのがヒズボラです。

ヒズボラは占領を続けるイスラエル軍に対してゲリラ戦を展開し、イスラエル北部にもロケット弾を打ち込むなど抵抗を続けました。2000年にイスラエルが南レバノンから撤退した際には、ヒズボラはその功労者としてレバノン国内で讃えられました。

イスラエル軍の爆撃を受け激しく燃え上がったトラック(2006年)

2006年、ヒズボラは境界線付近でイスラエル軍の車両を破壊して複数の兵士を殺害・拉致します。これをきっかけにイスラエルはレバノンに侵攻し、およそ1か月に渡りヒズボラとの戦闘を続けました。ヒズボラは装備で勝るイスラエル軍と互角に渡り合い、両者は国連安保理決議を受け入れて停戦しました。レバノン側の死者は市民を含めて1000人を超え、イスラエル側も市民を含むおよそ150人が死亡しました。

以降、イスラエルとヒズボラの間では時折、限定的な砲撃や空爆、ドローンの侵入などはありましたが、それ以外は比較的静かな状態が15年以上続いていました。

今回はその「均衡」が破れたと言えます。

ハマスとの関係は?

ヒズボラは対イスラエル闘争が最大の柱であるため、パレスチナの対イスラエル闘争も当然、支援してきました。
去年10月、ハマスがイスラエルに越境攻撃を行い、イスラエルがガザに報復攻撃を始めると、ヒズボラもイスラエルへの砲撃を繰り返しました。

ただ当初、その多くは、「連帯を示す」程度に抑えられていて、本格的な衝突は避けたい、という意向が透けて見えていました。これは過去のガザ紛争の際も同様で、ヒズボラがハマスのために正面からイスラエルと対決することはありませんでした。

なお、ハマスとの関係はシリア内戦を巡って微妙になったこともあります。

シリアも反イスラエルの立場であり、ハマスはシリアの首都ダマスカスに政治部門の拠点を構えていました。しかし2011年にシリアで内戦が始まると、ハマスはシーア派に近いアラウィ派のアサド大統領側ではなく、主にスンニ派の反体制派を支持しました。ハマスはもともとスンニ派の政治運動であるムスリム同胞団が母体です。また、シリアの現バシャール・アサド大統領の父親ハーフェズ・アサド前大統領はムスリム同胞団を弾圧した経緯もあります。

これに対してヒズボラはアサド政権側で参戦しました。アサド政権を支えたいイランの意向があったのは明らかです。

アサド政権と対立したハマスは政治部門の本部をダマスカスからカタールのドーハに移しました。しかし2020年代になってハマスは、ヒズボラの仲介でアサド政権と関係修復に動きました。ここでもイランの意向が働いたと見られます。

ではイランとの関係は?

深い関係があります。ヒズボラ誕生はイスラエルのレバノン侵攻がきっかけ、と述べましたが、そこで重要な役割を果たしたのがイランです。レバノンのシーア派武装勢力の結集を後押ししたのがイランの革命防衛隊だとされています。イランでは1979年のイスラム革命でできた政府が「反イスラエル」とともに「イスラム革命の輸出」を掲げていて、その”輸出先”として選ばれたのがレバノンでした。それもあってヒズボラとイランの指導部は同じイスラム教シーア派というだけでなく、反米・反イスラエルというスタンスも同じです。

イランは、アメリカやイスラエルと対立しつつも実際に戦火を交えるのは「イラン国外で、イラン以外のアクターが戦う」というのが基本方針です。そのイランにとって、イスラエルのすぐ北に位置し、強固な組織を持つヒズボラは国外における最大のアセットだと言えます。このため資金面でも軍事面でもイランはヒズボラを支援してきました。

この関係性からヒズボラは対イスラエルの軍事行動の際、レバノン国民への影響よりもイランの意向を重視すると指摘されていて、今回もイランの姿勢が重要になります。

ところでレバノン国民はみんなヒズボラを支持しているの?

いいえ、そんなことはありません。政界だけ見ても、レバノンにはイスラム教シーア派のヒズボラの他に、マロン派のキリスト教徒主体の勢力や、スンニ派のイスラム教徒の勢力、同じシーア派でもヒズボラとは別の勢力などがいて、それぞれ方針も思惑も違います。また首都ベイルートなどでは保守的な宗教勢力から距離を置く世俗的かつリベラルな市民も多くいます。

レバノンは2019年以来続く経済危機から抜け出せておらず、通貨も暴落していて、戦争は状況を悪化させるだけです。ただ政治も停滞する中で、イスラエルとヒズボラの戦闘をやめさせることができる勢力はレバノン国内には存在しないのが実情です。

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