民主党のボウマン下院議員。予備選では「マネー(カネ)ではなく、メニー(多くの人)のために」をスローガンに掲げたが、相手陣営が投じた多額の選挙広告の前に惨敗した=米ニューヨーク市南ブロンクスで2024年6月22日、八田浩輔撮影

 「今回は相手がこの地では勝利したかもしれない。しかし、人間性と正義について人生を懸けた私たちの戦いは続く」

 11月の米大統領選と同時に実施される連邦下院選に向け、米東部ニューヨーク州16区の民主党公認候補を決める予備選挙。6月25日夜、現職のジャマール・ボウマン氏(48)はピンクのTシャツ姿で登場し、支持者らに敗戦の弁を述べた。

ニューヨークの親パレスチナ議員

 史上最も金が投じられた下院予備選――。同区の選挙はこう呼ばれた。米政府の政策をイスラエル寄りにするために活動するロビー団体「米イスラエル公共問題委員会(AIPAC)」の関連政治団体が、ボウマン氏を「追放」するキャンペーンを展開したためだ。

  パレスチナ自治区ガザ地区の戦闘を巡り、米国とイスラエルの親密な関係が注目されています。米国内では若者を中心に変化を求める声があり、米大統領選への影響も指摘されます。米ユダヤ系社会の動きを中心に両国関係をひもときます。
 第1回 米ユダヤ系団体が仕掛ける「落選運動」 涙のむ親パレスチナ候補
 第2回 ホワイトハウスで政権幹部に直談判 ユダヤ教指導者が語る舞台裏
 第3回 ユダヤ系市民に広がる「分断」 ガザ紛争が拍車
 第4回 「イスラエルは真珠湾と同じ」 米キリスト教右派が共鳴する理由
 第5回 パレスチナ学生と「財布」 板挟みになる米有力大
 第6回 親イスラエルと親パレスチナ 「主戦場」のSNSを巡る攻防

 ボウマン氏は昨年10月にイスラエルと、パレスチナ自治区ガザ地区を支配するイスラム組織ハマスによる戦闘が始まると、イスラエル批判の急先鋒(せんぽう)として台頭した。

 「スクワッド」と呼ばれる下院民主党の左派グループの一員として、バイデン政権に即時停戦を促すよう求める決議案を共同提出。ホワイトハウスの外でパレスチナに連帯するハンガーストライキにも参加した。ハマス戦闘員がイスラエルで性的暴行をしたとされる問題について、イスラエルによる「プロパガンダ」だと発言して大きな批判を集めた。

 米国内には親イスラエルのロビー団体が複数あり、AIPACはその中でも「最強」と呼ばれる。会員は300万人以上、年間予算は1億ドル(約146億円)にも上る。ガザでのイスラエルの軍事作戦を強力に支持するほか、ユダヤ人によるヨルダン川西岸の占領地への入植活動の推進など、その主張はイスラエル国内の右派勢力に近い。近年はイランに厳しい姿勢を取る共和党との親和性も指摘される。

約20億円をかけた追放キャンペーン

予備選の選挙集会で支持者に手を振る民主党のボウマン下院議員(左)。左派に人気のサンダース上院議員(中央)、オカシオコルテス下院議員も応援にかけつけたが、惨敗した=米ニューヨーク市の南ブロンクスで2024年6月22日、八田浩輔撮影

 ボウマン氏の言動に激しく反発したAIPACは、この予備選に1480万ドル(約20億円)を投入した。あるテレビコマーシャルでは、ノーベル平和賞を受賞したユダヤ系米国人作家、エリ・ウィーゼルの息子が出演し「ボウマンのうそと陰謀論に立ち向かうのか。それとも黙って傍観するのか」と有権者に訴えた。

 これに対してボウマン氏も「共和党の億万長者たちの介入だ」「AIPACが民主主義を破壊しようとしている」などと反論。選挙終盤にはユダヤ系で民主党系無所属のサンダース上院議員も応援に駆け付けた。

 しかしボウマン氏は得票率では15ポイント以上の大差をつけられ、AIPACが支援する穏健派のジョージ・ラティマー氏(70)に敗れた。複数の米メディアは「AIPACの大勝利」と伝えた。

 米広告分析会社「アドインパクト」によると、双方の陣営がこの予備選にかけた広告費は計2480万ドル。同選挙区で過去2回分の合計額の8倍近くに膨れ上がった。

 ボウマン氏は下院での予算案審議の際、採決を遅らせるために火災警報器を鳴らす「奇行」などもあり、自ら支持者離れを招いた側面もある。ただ陣営スタッフは「イスラエルを批判する議員の象徴として、狙い撃ちにされた」と悔やむ。

ユダヤ系人材が存在感

 米国内のユダヤ系市民は推計で約760万人で、全人口の2%程度だ。ただ政治や金融、ITなどさまざまな分野でその人口比以上に存在感がある。

米国内でユダヤ系住民が多い州

 ユダヤ系市民は差別の対象となってきた歴史的経緯などから、リベラルな考えを持つ人が多く、ピュー・リサーチ・センターの世論調査(2020年)では約7割が民主党を支持していた。

 ただAIPACは政権交代しても親イスラエル政策を推進できるよう、民主、共和両党の議員と強いつながりを持つ。民主党のバイデン大統領(81)のほか、ハリス副大統領もAIPACの大会で演説するなど関係が深い。

 「AIPACはイスラエルと米国が強い関係を維持する上で代えがきかない存在だ」。AIPACの元スタッフで保守系シンクタンク研究員のエニア・クリビネ氏はこう強調する。

 AIPACの活動は選挙にとどまらず、専門的知識を持つスタッフを多数抱えて中東情勢の分析で国会議員に助言もする。クリビネ氏は「イスラエルとの強固な関係こそ米国の国益だ。AIPACは、そのことを議員に丁寧に説明して回っている」と話す。

 かつて20年以上ワシントンでロビイストとして活動したパレスチナ系の男性弁護士はこう指摘する。

 「政治生命を懸けてAIPACに刃向かえる議員はそう多くない。AIPACが米政府の政策を親イスラエルにしている一因なのは間違いない」

 8月には、イスラエルのガザ侵攻を厳しく批判してきたコーリ・ブッシュ下院議員が民主党のミズーリ州予備選で敗れた。AIPACは関連政治団体を通じ、対立候補に巨額の広告費を支援したと報じられている。【ニューヨーク八田浩輔、ワシントン松井聡】

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。