ミャンマーのイスラム教徒少数民族ロヒンギャ。2017年8月25日に大規模な迫害を受けてからまもなく7年が経つ。主な居住エリアのミャンマー西部ラカイン州に隣接するバングラデシュ南東部コックスバザール県には100万人規模の難民キャンプが形成されている。
写真家の新畑克也さんはそんなロヒンギャを撮り続けている。2015年にロヒンギャの村を訪れたことをきっかけにロヒンギャやラカインの問題に関心を持つようになったという。その後は主にラカイン州やバングラデシュの集落、難民キャンプで撮影を続け、日本最大のロヒンギャコミュニティがある群馬県館林市では定期的に写真展を開催している。
新畑さんがこれまでに撮った写真を通して、ロヒンギャの過去と現在をお伝えする。
(以下 写真と文=写真家・新畑克也)
その瞬間「おーっ!!」という歓声が ロヒンギャとの出会い
この記事の写真 ダッカンゼイン寺院 ミャンマー西部ラカイン州ミャウー中心部 2015年10月 撮影・新畑克也ミャンマー西部ラカイン州ミャウーの中心部で存在感を放つダッカンゼイン寺院。1571年に当時のアラカン王国のミンパラウン王の命により建立されたミャウーで最も有名な遺跡の一つ。
ミャウーはバガンに続く歴史的な遺跡群で有名な人口約16万人の町。その遺跡にはかつて15世紀から18世紀にこの地で繁栄を極めたアラカン王国の面影が残る。アクセスは最大都市ヤンゴンから飛行機でラカイン州の州都シットウェへ飛び、さらにボートで約7時間かかる。
前日にミャウーで泊まった宿で組んでもらったチン族の集落を訪れるツアーの途中で、異様に人口密度が高くイスラム教徒の服装をした人々が車窓の景色に飛び込んできた。
「彼らはロヒンギャに違いない」と翌日に真相を確かめるべく宿から郊外へ続く幹線道路を歩いた。1時間半ほど歩き続けると徐々に無邪気な少年たちが私の周りに集まってきた。
雨季の茹だるような蒸し暑さで2時間近く歩き続けてようやく辿り着いた村。売店で水を買い休息していると、外国人の訪問が珍しいのか村の人々が続々と集まってきた。幼子を抱えた若い母親も不思議な表情で私を見つめている。
これほど多くの人に囲まれたのは初めて ラカイン州ミャウー郊外 2015年10月 撮影・新畑克也2015年10月当時、私はミャンマーに只ならぬ縁を感じて10回近く訪れていたが、これほど多くの人々に囲まれた経験は初めてだった。
私はずっと気になっていた、単純だが勇気の要る質問をしてみた。
「あなたたちはロヒンギャですか?」
すると「そうだよ。私たちはロヒンギャだよ!」と大勢の人々から返事が返ってきた。
「良かった。私はずっとあなたたちに会いたいと思っていました」
村で2、3人英語が話せる若者が現れて私の言葉を訳してくれた。
彼らは「オー!」と盛り上がり、私を歓迎してくれている様子だった。
「世界で最も迫害されている民族」といわれるロヒンギャ。長年ミャンマーで暮らしているにも関わらず彼らは国籍を剥奪され移動の自由すら奪われており、深刻な差別や迫害に苦しみ続けている。ミャンマーでは「ロヒンギャ」というフレーズすらタブー視されており、口にすることすら遠慮せざるを得ない空気がある。
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強面だが気さくな男性が案内してくれた村には…強面だが気さくな男性が案内してくれた村には…
ポンロー村 ミャンマー西部ラカイン州ミャウー郊外 2015年10月 撮影・新畑克也「ポンロー村」と呼ばれるその集落を強面だが気さくな男が案内してくれた。幹線道路には立派な電線が通っているがこの村には電気がない。外国人はおろかラカイン州で多数派である仏教徒のラカイン族の住民もあまり近づかないのか、村人たちは気さくながらも奇異な目で見られているとも感じた。
廃材に立つ若い妊婦に首を腫らした女性、気がかりな場面にも遭遇した。
村の売店で出逢った若い母親と子ども。ロヒンギャの多くは日常的に「ロヒンギャ語」と呼ばれる言語を話すが、私のつたないビルマ(ミャンマー)語の挨拶にも応じてくれた。
多民族国家として知られるミャンマーには「ロヒンギャなんて存在しない。奴らはベンガリ(バングラデシュ人)だ。ビルマ語を話せないから国民ではない」という差別的な声をよく聞くが、独自の言語を持ちビルマ語が母語ではないが国民として認められている民族は多い。ミャンマーでは民族や人種で国民を決めているため、国内で歪んだ差別や迫害が生まれてしまう。
村を再訪して知ることになるが、当然だが彼らの多くは制限されながらもビルマ語の文化で生きているためビルマ語を話せる人は多いし、ラカイン族と共同で市場を開いたり彼らは日頃から助け合って生きているのでラカイン語を話す人も多い。
初めてロヒンギャの村を訪れて最も印象深かったのは純真無垢で積極的にコミュニケーションを取ってくる子どもたち。その後のミャンマーの情勢悪化で現地を訪れることが極めて難しくなった今でも「あの子たちは元気にしてるかな」といつも思っている。
杖をつく初老の男性 ラカイン州ポンロー村 2015年10月 撮影・新畑克也杖をつく初老の男性。村ではあまり年配者を見かけなかった。彼も実年齢は想像よりもずっと若いのかもしれない。
幹線道路沿いの村に暮らすロヒンギャの人々 2015年10月 撮影・新畑克也幹線道路沿いの村に暮らすロヒンギャの人々。「ロヒンギャ」といえば、その後2017年8月にラカイン州北部で起きた国軍らによる大弾圧で隣国バングラデシュに逃れた難民を想像する人がほとんどだろう。
彼らの故郷ミャンマーで国籍を奪われ教育や医療へのアクセス、移動の制限などの差別を受けながらも、比較的穏やかな環境で独自の美しい文化や習慣を守りながら生きる人々と出逢えたことは貴重な経験となった。
村の側に流れるレイミョー川で砂利の運搬を行っていたロヒンギャの男たち。彼らはこのような肉体労働で生計を立てている人たちが多い。
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新畑克也
1979年広島県呉市生まれ。東京都在住。2010年に初めて訪れたミャンマーに魅了され、同国へ幾度も通い、旅先での人々との出逢いを写真に収め始める。 2015年より西部ラカイン州でロヒンギャの村を訪れたことをきっかけにロヒンギャやラカインの問題に関心を持つ。以降は主にラカイン州やバングラデシュの集落、難民キャンプで撮影を続け、日本最大のロヒンギャコミュニティの在る群馬県館林市では定期的に写真展を開催している。
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