1918年にノーベル賞を受賞したフリッツ・ハーバー。
人類を食糧危機から救った人物だ。一方で「化学兵器の父」とも呼ばれる。
第一次世界大戦で広く使われた新たな兵器がある。大量破壊兵器『毒ガス』だ。
この開発を主導した人物こそ、ハーバーだった。
人を死に至らしめる毒ガス兵器は第二次世界大戦中、さらなる被害を生む。
ポーランド南部にあるアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所。
かつてユダヤ人の大量虐殺が行われた場所だ。
ナチス・ドイツによって虐殺されたユダヤ人は、約600万人。
そのうち10万人がアウシュビッツで殺された。
この大量虐殺を可能にしたものは毒ガス「ツィクロンB」。
わずか20分で人を死に至らしめる猛毒だ。
今回、14歳の時にアウシュビッツに送られ過酷な肉体労働を強いられた
アレク・ハーシュさん(95)に話を聞くことができた。
アレク・ハーシュさん(95)
「私の番号はB7608でした。アウシュビッツでは名前はありませんでした。」
「私は生き地獄を経験しました。飢えに苦しみ、3段ベッドで寝ました。朝6時に起きてパンを一切れもらい畑で働きました。農作業をしていたらドイツ人たちが遺体を燃やした後の灰をもってきました。彼らはそれで植物がより育つだろうと考えていたのです。私は時になぜ生きているのだろうと不安になりました。何のために生きているのだろうと」
ハーシュさんは、多くの人がガス室に入れられていく様子を目にしていた。
アレク・ハーシュさん(95)
「毎日、満杯の人を乗せた列車がやってきた。毎日何千もの人がガスで殺され、遺体が燃やされた。私はいつもそれを見たりその横を通ったりしていた。ひどく落ち込みました」
毒ガスはどのように使われていたのか。
アウシュビッツという施設は多くの人を短時間で殺害できるよう、考え抜かれ、設計されていた。
到着したユダヤ人たちは、消毒のための「シャワー」を浴びるよう言われ脱衣所に入る。
しかし、目と鼻の先にあるのは「シャワー室」ではなく、「ガス室」。
人々は20分で息絶え、遺体はすぐ上にある焼却炉に運ばれて燃やされた。
一度に最大2000人を殺害できるガス室が4つあったという。
ガスを使った殺害について、ハーシュさんはこう話す。
アレク・ハーシュさん(95)
「酷い話です。しかし何もできなかった。全てに従わなければならなかった。そうでなければ、私はとっくに死んでいたでしょう」
人の命を奪う毒ガスは、科学の産物だ。
世界で争いが続く中、いまも兵器の性能向上に加担している科学者たちもいることについてハーシュさんに聞いてみると。
アレク・ハーシュさん(95)
「科学者が武器やその類いのものを作ることに賛成できません。結局、それは人を殺すために使われます」
「残念ながらロシアやアメリカなどの国々は、戦争が起こった場合に備えて準備しています。これは間違っていると思います。戦争をするべきではない。何も悪くない普通の人々が殺されるのですから。私は多くを経験しました。家族もみな失いました。人々が殺し合いをするようなことは起こらないでほしいです」
私たちの生活を便利にする科学。
一方で、人の命を奪う技術の発展にも利用され続けている。
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