ロシア軍による侵攻が続くウクライナ南部オデーサに入り、オーケストラの指揮をした日本人がいた。国際的に活躍する指揮者の吉田裕史さんだ。なぜ厳しい状況が続くオデーサで指揮をするのか。来年予定されている来日公演への思いとともに聞いた。

オペラ楽曲「運命の力」に込めた吉田さんの思い

イタリアを拠点に活動する指揮者、吉田裕史さん。2021年1月にウクライナの「国立オデーサ歌劇場」の首席客演指揮者に就任したが、コロナ禍やロシア軍によるウクライナ侵攻などの影響で、就任後の2年半、オデーサ歌劇場で指揮をする機会がなかった。就任後に吉田さんがオデーサに入ったのは、去年の9月に続き今回は2度目となる。
今回の公演で演奏されたのは、ヴェルディ作曲の「運命の力」序曲やプッチーニ作曲の「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」など、イタリアオペラの楽曲。なかでも、オープニングで披露された「運命の力」は、ヴェルディのみならず全てのイタリアオペラを代表する作品で、吉田さんはこの作品について「人間がどれほど努力をしても避ける事のできない『運命の力』によって引き起こされる悲劇を描いている」と語る。深い悲しみ、苦しみ、嘆きの中でも希望を見出そうとする様子が描写されていて、このようなテーマが、今ウクライナで起きている戦争と混乱による悲劇に通じるものがあると感じ、吉田さんはこの楽曲を選んだのだ。

6月8日 国立オデーサ歌劇場 オペラ公演

「1日の3分の1が停電」

コンサートの終演後、照明が一部消された劇場でインタビューに応じてくれた吉田さんは「オデーサでは1日の3分の1が停電になっている」と、深刻な電力状況について語った。オデーサでは、ロシア軍による発電所などインフラ施設への攻撃が続き、電力供給が制限されている。国連によると2023年には300近くの民間のインフラ施設がロシア軍による攻撃で被害を受けた。
こうした事態を踏まえ、街では計画停電が予定されているが、電力不足によりその計画通りに電力を供給することもままならない状態だ。吉田さんは、停電への対策として滞在していたホテルや街中には発電機が設置されていると、その写真を送ってくれたが、「美しい街中で発電機の音が鳴り響いていて非常に残念だ」と語った。

オデーサの街中に設置された発電機

停電の影響は吉田さんが指揮をする歌劇場にも出ている。公演のリハーサルは昼間の明るい時間にしかできない。また、公演終了後の少なくとも15分は、お客さんが劇場を出て、舞台を片付けるために電気がキープされるはずだが、今回の公演では終了後5分ほどで電気が消されてしまった。
吉田さんは「今はもう全て電気に左右されてる状態だ」と去年9月に歌劇場を訪れた時と比べた変化をこのように説明した。
「電気が使えないとこんなにも不便なのかと、生まれて初めて実感した」とも話した。

歌劇場には停電以外の影響も オーケストラメンバーは120人から80人に減少

ウクライナ国立オデーサ歌劇場

200年以上の歴史を誇り、ウクライナで最も古い歌劇場であるオデーサ歌劇場。そこで活動するオーケストラのメンバーは侵攻前は120人いたが、ウクライナ軍への動員などで現在は80人まで減ってしまったという。また、劇場の収容人数も、本来の劇場のキャパシティは1600人だが、現在は劇場の地下にあるシェルターの最大収容人数である500人に制限している。空襲警報が鳴る日もある。滞在に危険が伴うオデーサでなぜ指揮をするのか。その理由について吉田さんに聞くと。

「世界で一番音楽が必要とされている場所だからです。音楽を届けるということが音楽家の存在意義、本分です」
「音楽が求められている場所があれば、そこに行くというそれだけのことだ」と力強く話した。

終演後 ウクライナ軍の兵士らと記念撮影する吉田さん

今回の公演では、終了後に兵士約20人が一緒に来て涙を流しながら 「ありがとう」「すてきな演奏だった」とそれぞれの思いを伝えてくれたことが印象的だったという。今回演奏されたのはイタリア語のオペラの楽曲であることから、ウクライナの人々の中には楽曲のストーリーもイタリア語も分からない人が多くいたが、「それでも勇気や希望を感じることができたのは、音楽そのものが持つ力によるものだ」と訴えた。

「オデーサ歌劇場のオーケストラが奏でる音楽を日本に届けたい」

吉田さんがオーケストラのメンバーを支える活動は他にもある。今年1月には、「オデーサ歌劇場のオーケストラが奏でる音楽を日本の人々に届けたい」という思いから、来日公演を目標にクラウドファンディングを実施した。そして、2ヶ月間で460人以上から1500万円を超える支援を得ることができたため、来年3月にオデーサ市の姉妹都市である横浜市の神奈川県民ホールで小規模編成の来日公演を実施することが決定した。ただ、残念ながらフル編成のオーケストラでの来日公演を実施するために必要な2000万円には到達しなかった。そのため、約80人のフルオーケストラでの来日公演を実現するために、クラウドファンディングの第2弾に取り組み、資金集めを続けている。その思いを吉田さんはこのように語った。

「(オーケストラのメンバーは)とにかく日本に行きたい、日本人の前で演奏したいという本当に熱い思いを持っているので、自分たちの音楽、自分たちの伝統と芸術を日本のみんなにも聞いてもらいたいと言ってるので、何とか叶えてあげたい」

来日公演を実現させ、日本の人たちにも厳しい状況でも音楽を続けるメンバーの演奏を聞いてもらいたいと情熱的に語ってくれた。

オデーサ歌劇場と日本の交流は吉田さんのエピソード以外にもある。日本の音楽メーカー「ヤマハ」が、オデーサ歌劇場から支援の依頼を受け、フルートやオーボエなど楽器5点の寄贈を決定した。歌劇場ではロシアによる侵攻以降、新しい楽器が補充できなかったり、自楽器のメンテナンスが十分にできなかったりなど厳しい状況に置かれている。寄贈は今年の秋頃に実現する予定だという。

6月 オデーサ歌劇場で指揮をする吉田さん

楽器の寄贈について、吉田さんは「楽器の性能はオーケストラの演奏のクオリティに直接関わるので、オーケストラにとって非常に大事だ」と話した。その上で、「ヤマハが寄贈してくれた楽器が演奏のクオリティを上げる。私は指揮者として、演奏のクオリティを上げる。そして、それによってメンバーのモチベーションも上がる」と、こうした取り組みがオーケストラの音楽をより良いものにすると話した。そして、その音楽を日本の人々にも伝えていきたいと話した。

最後に、「オデーサの状況は以前よりも悪くなっていて、街の人口が減っている」、「劇場もいつまでオープンしていられるかわからない」と、劇場の存続についても危機感を示した吉田さん。「今、空襲のアラームが鳴ったそうなのでこれで失礼します」と話し、インタビューは終了した。

執筆者:TBS外信部 落合梨眞

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