2014年3月。「台湾の大学生が立法院を占拠」というニュースが飛び込んできた。「ひまわり学生運動」である。当時大学で台湾について学び、台湾人の友人も数多くいた私は、自分と同世代の若者たちが起こした行動を、驚きをもって見守っていた。
日本の国会にあたる立法院を数万の学生たちが取り囲み、声を上げた。議場内に突入した学生たちは出入口を椅子を積み上げたバリケードで塞ぎ、演壇にある蒋介石の肖像画に「立法院占拠」の垂れ幕を掲げた。彼らは何に抗議していたのか?私は遠く離れた日本にいながら、彼らに現場で話を聞いてみたい気持ちでいっぱいだった。
「ひまわり学生運動」から10年たった2024年5月20日。民進党の頼清徳氏が総統に就任した。初の総統直接選挙が行われた1996年以降、国民党と民進党の間で2期8年ごとに政権が交代していたが、今回初めて3期連続で民進党が政権を担うことになった。
「ひまわり学生運動」は、この3期連続の民進党政権誕生の源流を作ったともいわれている。
「ひまわり学生運動」は台湾に何をもたらしたのか。頼清徳総統の就任式を取材するため台湾を訪れた私は、10年前に抱いた疑問を当時運動に参加した人たちにぶつけてみることにした。
立法院占拠のきっかけは「中国巨大資本への懸念」
「運動を起こしたのは、当時の国民党政権が中国と結ぼうとしていた協定が、台湾経済に甚大なダメージを与えると思ったからです」
こう話すのは「ひまわり学生運動」を率いたリーダー・林飛帆さん(37)。
「協定」とは2014年、当時の与党・国民党が推し進めていた中国との経済関係を深めるための「サービス貿易協定」のことである。中国と台湾の市場を互いに開放し、貿易を拡大する狙いがあった。国民党は当時も今も、中国に対し融和的な政策で知られている。
当時、台湾の外交方針には2つの考え方があった。一つは経済的なメリットを重視し、中国との関係を強化すべきだというもの。もう一つは中国を特別視せず、日本、東南アジア、欧米などともバランスのよい関係を築くべきだというもの。
前者を推し進める国民党に対し台湾の学生たちは、中国との経済関係が強化され、巨大な中国資本が台湾に流入することで、多くの中小企業が損失を受けるのではないか。また、経済のみならず政治面などでも中国の影響力が強まるのではないか。そんな懸念を抱いたという。
林飛帆さん
「この協定自体に問題がある上、立法院での審議も民主的ではなかったため、仲間と話し合った結果、立法院を占拠することを決めました」
「中国の台湾」ではなく、「世界の台湾」を選んだ
協定に反対するため立法院を取り囲んだ学生たちは、その後立法院に突入。23日間にわたり立法院を占拠した。SNSを通じて現場の映像が拡散されると、立法院の前の通りには学生の行動を支持する人たちが次々と集まり、協定に反対するデモの参加者は10万人以上にふくれあがった。国民党・馬英九政権の支持率は10%を割り込み、立法院長は協定をめぐる審議を凍結すると表明。運動は学生たちの勝利に終わった。
一連の運動がもたらした意味について、林飛帆さんはこう振り返る。
林飛帆さん
「ひまわり学生運動は台湾の運命を変えることに成功しました。台湾は権威主義の大国に縛られるのではなく、『世界の台湾』の道を選んだのです」
2年後の2016年に中国と距離を置く民進党・蔡英文政権が発足。林さんは2019年に民進党入りした。
「国民党政権時、45%だった中国への経済依存度が、民進党政権では東南アジアや欧米などへの投資を増やすことで35%にまで下がりました」
蔡英文政権は中国への経済依存度を減らし、東南アジアや日本、欧米諸国などとの関係を強化する路線へと舵を切った。
強まる「台湾人」意識、その根底にあるのは「民主主義」
「この協定によって台湾経済が中国に浸食され、台湾と中国はもともと同じ家族なのだ、という空気が社会に醸成されるのではないか。それは台湾にとって非常に危険だと思いました」
同世代の大学生が立法院に突入する映像を見て、運動への参加を決めたという陳さん(35)。当時、大学院生だった。
中国という世界第2位の経済大国と隣り合わせの台湾。常に、その巨大な経済的吸引力との距離感、が台湾の課題になっている。台湾が生き残るためには中国経済の勢いを取り込まない手はない、と中国とのビジネスチャンスに期待する声も多い。実際、国民党が推し進めた「サービス貿易協定」は、こうした期待を反映したものだった。しかし、陳さんは当時、「中国が台湾に経済的メリットをもたらすのは、いつか台湾を統一するために他ならない」と危機感を持ったという。
そのような考えに至ったのは、陳さんたちの世代は上の世代とは違うアイデンティティを持っていたからではないか、と分析する。
陳さん
「私たちの両親は国民党がつくった教科書で中国のことを中心に学んでいましたが、私たち、戒厳令が解かれて以降に生まれた世代は、台湾自身の歴史や文化を学校で習い始めた世代です」
中国共産党との戦いに敗れ、台湾に逃れてきた蔣介石率いる国民党は戒厳令を敷き、多くの人を政治犯として逮捕、弾圧したほか、言論の自由も厳しく制限した。現在30代となっている陳さんたち「ひまわり学生運動」世代は、戒厳令が解除された1987年以降に生まれ育った世代。言論の自由、政治的自由を享受して育ったこの世代は、自らを中国人ではなく、生まれながらにして台湾人だと考える人が多く、「天然独」とも呼ばれる。「ひまわり学生運動」は、そんな「台湾人」としての意識を再確認させられるものだったという。
陳さん
「あの運動によって、私たちは『中国の台湾人』になりたくない、『台湾人』になりたい、という考えがさらに強まりました」
「サービス貿易協定」が問いかけた「中国との距離感をどうするか」という問題を通じ、「台湾人」としてのアイデンティティをさらに強固なものにしたという陳さん。
さらに学生同士で議論をする中で、「民主主義」こそが台湾の大切な価値観であり、自分たちのアイデンティティの根底にあるものだと気がついたという。
陳さん
「台湾には選挙があり、自分たちの一票で総統を選ぶことができます。中国のように任期無制限の主席を選ぶようにはなりたくないと思いました」
中国と台湾を分けるもの。それは「民主主義」ではないか。陳さんはそう考えている。
民主化して37年。民主主義国家としてはまだ歴史が浅い台湾ではあるが、市民の政治参加意識はとても高い。今年1月の総統選の投票率は71%。前回、2020年の総統選の20代の投票率は7割を超えた。選挙集会でも、若者の参加が目立つ。なぜ、台湾の若者は、政治参加に熱心なのだろうか?陳さんからは、おもいがけない返事が返ってきた。
陳さん
「私たちは実は日本がとても羨ましいのです。なぜなら、日本は独立した主権国家であり、それが脅かされる日は来ないでしょう。でも、台湾は(中国によって)いつか主権が脅かされるかも知れない。投票によって私たちの未来が決まってしまう、と思うからこそ、政治意識が高くならざるを得ないのです」
たしかに、常に中国による軍事的政治的脅威にさらされている台湾の人たちにとって、どのような政権を選択するかは、自らの生活や将来に直結する死活問題だ。
現在子育て中の陳さん。台湾が台湾らしくあるための重要な価値観である「民主主義」を、子供の世代まで守っていきたいと願っている。
「自分の子どもは、自由な言論が保障された、民主主義のなかで育ってほしいと思っています」
ひまわり世代が感じる次世代への「不安」
「ひまわり学生運動」から10年。この間、中国と距離を置く民進党政権が8年にわたり続いた。その中で育った今の20代の若者たちは「ひまわり学生運動」世代とはまた違った価値観を持っているという。
当時、大学一年生で「ひまわり学生運動」に参加した王さん(34)は、今の若者たちをこう評した。
「いまの学生たちは民主主義が当然の社会で子供時代を過ごし、民主主義は消えてなくなることなどなく、そこに当たり前にあるものだ、と思っています」
「私たちは国民党政権を経験したからこそ、中国の脅威を感じるのです」
民進党政権下で育った今の20代の若者たちは、「中国の脅威」や「中国との距離感」といった問題よりも「若者にも家を買えるようにして欲しい」「就職できるよう経済を良くしてほしい」など、自分たちの身の回りのことへの関心が高いという。
そのため、王さんは選挙のたび、いつも不安な気持ちになるという。
「私たちの世代が抱える危機感を下の世代に伝え続け、民主主義はそこにあるものではなくて、絶えず勝ち取らなければならないということを伝え続けたいのです」
しかし、そんな彼の不安を打ち消すような事態が再び、台湾立法院を舞台に起きることになる。
「民主主義を後退させてはならない」「今こそ台湾のために」再び立ち上がった若者たち
5月24日夜。台湾立法院の前に10万人の市民が集結した。
「民主主義を後退させてはならない、ブラックボックスの審議を拒否する」
「議論をしなければ、民主主義ではない」
集まった人々が掲げたプラカードに書かれていたスローガンだ。
市民たちはなぜ、立法院の前に再び集まったのか。背景は少し込み入っている。
1月の総統選とともに行われた立法委員選挙で与党・民進党は過半数を割り込み、台湾の政治は今「ねじれ状態」となっている。そんな中、最大野党・国民党と民衆党が、総統に対し定期的に立法院での報告を求めることなどを盛り込んだ法案を提出した。立法院の権限を強化し、総統や行政院の権限を縛る狙いがあるものとみられる。
これに対し「頼清徳政権を弱体化させるものだ」と民進党が反発。与野党の議員が乱闘騒ぎを起こすまでに発展した。
こうした事態に主に民進党の支持者たちが「議会運営が民主的ではない」と危機感を抱き、座り込みを行ったのだ。
集まった人々のなかには、「ひまわり学生運動」を知らない、10代20代の若者も数多くいた。
大学2年生・女性
「立法院で市民が注視しなければならない状況が起きています。立法委員の人たちがちゃんと仕事をしているのか監視しにきました」
高校2年生・女性
「ひまわり運動のとき私は小さくて何もできなかったけど、テレビで見て感動しました。いまこそ台湾のために何かしたいと思って来ました」
先ほど登場した王さんのように、今回取材したひまわり学生運動世代からは、いまの若者たちは民主主義の大切さを理解していないのではないか、という心配の声が聞かれた。
しかし多くの若者たちが「民主主義を守るため」と街に繰り出し、自分たちの想いを訴える姿を目の当たりにして「台湾の民主主義を大切にする」という価値観がしっかりと受け継がれているように感じた。
取材後記
10年前に起きた「ひまわり学生運動」。参加者の話を聞いて、運動は結果的に台湾が中国とは違う「台湾としての道」を選ぶ大きな原動力となり、台湾が台湾であるための根底にあるのは「民主主義」である、という意識を再確認させるものだったのではないか、と感じた。
「ひまわり学生運動」から10年。台湾と中国をめぐる関係は年々緊張感を増し「台湾有事」という言葉が広く使われるようになるなど、台湾は世界の注目を集める場所となっている。
政治的、軍事的に対立する一方で、同じ言葉を使い、同じ文化圏に属する台湾と中国。時に近づき、時に離れるという、微妙なバランスの上にその関係は成り立っている。台湾市民は、そのバランスを敏感に感じ取りながら、日々暮らしている。それが台湾の人たちの高い政治意識の背景にあることを改めて感じた。
中国が台湾周辺で大規模な軍事演習を行ったり、立法院では野党の激しい抵抗にあうなど頼清徳政権は早くも難題に直面している。台湾の人々は新政権がどこに台湾を導くのかを注意深く見つめ続け、時には声を上げ、意思表明をしていくのだろう。
台湾はこれから中国とどのように向き合っていくのか。台湾の民主主義はどう変化していくのか。私もその行く末をじっと見守り続けたい。
JNN北京支局 室谷陽太
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