日中戦争当時、多くの市民が巻き込まれた旧日本軍による「重慶爆撃」。80年が過ぎ、当時を知る人たちが少なくなるなか、被害者たちが今、伝えたいことはなんでしょうか。

中国内陸部にある重慶市。およそ80年前、旧日本軍の無差別爆撃を受けました。

きょう、追悼式典が開かれ、爆撃の犠牲となった人々を悼んで黙とうが捧げられました。

重慶市民
「重慶爆撃の残虐さを教えるため、子どもを連れてきました。こういう事実があったことを忘れないでほしい」

日中戦争のさなか、当時の国民党の政府は一時、重慶市に首都を置きましたが、日本は圧力をかけるため、1938年から44年までの6年にわたり、重慶に爆撃を繰り返しました。

空爆は200回を超え、1万人以上が犠牲となり、特に1941年6月5日の爆撃では数千人が死亡したと言われています。

去年11月、爆撃の被害者たちが集まりました。90歳になるこちらの男性は飛行機が大好きな少年でした。旧日本軍の爆撃機が飛んでくると、好奇心から見に行ったといいます。しかし…

爆撃の被害者 粟遠奎さん
「爆撃によってたくさんの人が死に、飛行機は怖いものだと分かったのです」

防空壕に逃げ込みましたが、人が多すぎて息ができなかったといいます。

爆撃の被害者 粟遠奎さん
「人が折り重なっていました。みんな寝ているように見えたのですが、実は息ができなくて死んでいたのです。私は死んだ人の下から発見されました」

一緒に逃げた2人の姉は見つかりませんでした。

爆撃の被害者 粟遠奎さん
「日本の若い人には歴史を忘れずに学んで、教訓を生かし、将来同じことが起こらないようにしてほしい」

86歳のこの女性は3歳の時、爆撃に遭いました。自分をかばってくれた祖母は死亡しました。

爆撃の被害者 簡全碧さん
「覚えているのは祖母の腕の中にいたということだけです。あの爆撃がなければ、幸せな家族のままだったと思います」

ウクライナやパレスチナ自治区ガザ。世界では今も、戦争が続いています。空から降ってくる爆弾におびえる子どもたちがいます。

爆撃の被害者 簡全碧さん
「戦争で苦しむのは市民ですよね。ロシアでもウクライナでも、激しい戦闘により市民が苦しみ、家族が壊れています。世界が平和になるように願っています」

「世界が平和になるように」。それが、かつて爆弾におびえた子どもだった人たちの願いです。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。