イランのライシ大統領(63)を乗せたヘリコプターが19日、イラン北西部の東アゼルバイジャン州にある山岳地帯で墜落し、ライシ師の死亡が確認された。イランメディアが報じた。同乗していたアブドラヒアン外相(60)も死亡した。事故の詳細は不明だが、悪天候で視界が悪かったことが原因だと報じられている。ライシ師は反米保守強硬派の大統領で、最高指導者ハメネイ師(84)の「愛弟子」として知られ、後継者と目されていた。
AP通信などによると、現場は首都テヘランから約600キロ離れたジョルファ近郊とみられる。ライシ師はアゼルバイジャンとの国境付近で同国のアリエフ大統領とダムの落成式に参加した後、州都タブリーズに戻る途中だった。ヘリは3機で飛行していたが、ライシ師らが乗ったヘリだけ墜落したという。バヒディ内相は19日夕、このヘリについて「悪天候と霧のため強行着陸を余儀なくされた」と説明していた。
山中でヘリの残骸発見
イランメディアは当初、ヘリが「不時着」したと報じたが、20日に山中で残骸が見つかった。報じられた現場写真では、折れたヘリの尾翼の周りに焼け焦げたような跡が写っており、墜落後に炎上した可能性がある。ヘリには地元州知事らも同乗していたが、生存者はいなかったという。ハメネイ師は20日、「イランは価値ある奉仕者を失った」と述べ、5日間の追悼期間を設けると宣言した。
イラン憲法では、在職中の大統領が死亡した場合、最高指導者の了承を得て第1副大統領が引き継ぎ、50日以内に大統領選を実施すると定められている。イランメディアによると、この規定に従い、モフベル第1副大統領が暫定大統領に就任。外相代行にはバゲリ外務次官が就いた。
ライシ師はイスラム教シーア派の聖地がある北東部マシャド生まれ。15歳で聖地コムの神学校に入学し、後に最高指導者となるハメネイ師のもとで教育を受けた。1979年のイラン・イスラム革命後に地方検事となり、2014年に検事総長に就任。19年には米国から個人制裁の対象に指定された。
大統領選には17年に初めて出馬し、保守穏健派で現職だったロウハニ師に敗れたが、再出馬した21年の大統領選では事実上の優遇措置を受けて当選した。
就任後は反米強硬路線を推し進め、ウラン濃縮やミサイル開発を推進。今年4月に在シリアのイラン大使館が空爆された際は報復を宣言し、イスラエルに向けて300発以上のミサイルなどを発射した。国内では22年に起きた女性らによる反ヘジャブ(スカーフ)デモを強硬に取り締まり、多くの死者を出した。【カイロ金子淳】
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