イランの大統領で、イスラム教シーア派高位聖職者のエブラヒム・ライシ師が19日、ヘリコプターの事故で命を落とした。デモを弾圧する強権手法を貫く一方で、2023年には対立するサウジアラビアとの国交正常化を決めるなど一定の緊張緩和を試みた指導者でもあった。ライシ師とはどんな人物だったのか。
初めてライシ師を見たのは、中東を担当するカイロ特派員時代の17年5月。イラン大統領選の取材で首都テヘランを訪れた際、ライシ師の演説会場に入った。
選挙戦で人気が高かったのは、当時の現職大統領で15年に「核合意」を主要6カ国と結んだロウハニ師の方だった。イランが核開発を制限する代わりに、欧米側に経済制裁を解除させるという難しい交渉をまとめていたからだ。結局、17年の選挙もロウハニ師が勝利し、ライシ師の初当選は4年後の21年になるのだが、当時からライシ師の支持者には底堅い熱気があった。
会場には女性の姿が目立った。テヘランでは頭部のみを覆う「ヘジャブ」着用者が多いが、集会に来たのは全身を覆う黒い「チャドル」姿の女性ばかりで、イスラムの伝統に忠実な人が多い印象だった。大学生の20代の女性は「最近、男女が公然と路上で体を寄せ合う姿が増えました。ライシ師はおかしくなったイラン社会を元に戻してくれるはずです」と語っていた。
会場のモスク(イスラム礼拝所)前では、「(核合意で)米国と歩調を合わせたロウハニよ、恥を知れ」と訴える支持者の声が響いていた。その熱気と対照的に、ライシ師の演説は淡々と始まった。「この数年で1万7000の店舗が閉鎖に追い込まれた。今こそ、毎年100万人の雇用増が必要だ」。反米強硬派のイメージが強いライシ師だが、この時の演説はほぼ雇用についての話だった。
演説の終盤、携帯電話の待ち受け画面をライシ師にしていた近くの中年男性が肩を震わせて泣いていた。「日本も欧米も、ロウハニに好意的すぎます。ロウハニのせいで外資導入が進み、多くの国内工場がつぶれました。国を開けばこうなるのです」。失業中というこの男性はそう話した。
ライシ師は検察官だった1980年代に多くの政治犯の処刑に関与したとされ、その強権ぶりを恐れる市民も多い。一方、5歳の時に父親を亡くし、苦学して聖職者になった逸話も度々報じられ、低所得者層の支持が厚かったのも事実だ。
大統領就任後は経済活性化を目指し、今年2月には日本など28カ国の国民の観光目的によるビザ取得免除に踏み切り、外国人観光客誘致にも着手したばかりだった。だが、米国の離脱などで「核合意」が機能不全に陥り、経済の苦境が続く中、大きな成果も出せないままライシ師は世を去った。
待ち受け画面をライシ師にするほど入れ込んでいたあの男性はその後、無事に仕事を見つけることができただろうか。あれから7年。政治に翻弄(ほんろう)されるイラン国民の未来は、さらに不透明になっている。【元カイロ支局長・篠田航一】
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