島根原発2号機の運転差し止めが認められなかったことについて、記者会見で思いを語る芦原康江さん=松江市内で、松原隼斗撮影

 中国電力島根原発2号機(松江市)の運転差し止め仮処分を求めた地元住民らの申し立てについて、広島高裁松江支部は15日、却下する決定を出した。申立人の一人で、約40年にわたって反原発運動を続けてきた芦原康江さん(71)=松江市=は「電気のために命や健康、暮らしを脅かすリスクを選ぶべきではない」と訴えている。【目野創】

安全性に違和感、警鐘鳴らし40年

 島根原発は国内で唯一、県庁所在地にある。廃炉となった1号機は今から50年前に稼働し、国産初の原発として注目を集めた。

 今回の裁判の対象となった2号機の建設計画が進んでいた1980年代。原発から約10キロの場所で暮らす芦原さんは、その安全性に疑問を感じ始めていた。

 当時は夫と子供2人の4人暮らし。国や電力会社は原子力を「未来のエネルギー」としてPRしていたが、どうしても原爆の恐ろしいイメージと重なってしまう。強い違和感を覚えた。

 自ら勉強を重ねて浮かび上がったのは、原発が抱える問題だった。事故が起きれば放射性物質が周囲に漏れ出す恐れがあり、強い放射線を出し続ける使用済み核燃料を処理できる見通しも立っていない。心に湧き起こったのは「未来の子供たちに負の遺産を残すわけにはいかない」

 市民団体のメンバーとして、身を粉にしてきた。各地の原発で事故やトラブルが起きれば、中国電や自治体に安全確保を訴える。街頭に立ち、原発に反対する署名集めも続けてきた。

 地元では、原発関連の仕事で生計を立てている人も少なくない。「原発は絶対に必要だ」と怒鳴られたり、自宅に脅迫状のような手紙が届いたりしたこともあった。それでも、続けてこられたのは「事故が起きれば大勢に被害が出る」との一念からだった。

 ただ、2011年の東京電力福島第1原発事故には言葉を失った。大量の放射性物質が飛散し、故郷を追われて長期の避難を強いられた人たち。それでも、原子力を推進する国や電力会社に強い憤りを感じる。1月の能登半島地震では寸断した道路で孤立する人たちが続出した。その現実に思いを強くした。「地震で原発事故が起これば、多くの人が避難できなくなる」

 島根原発は現在運転が止まっているが、今回の裁判で地震や活火山への対策不備のほか、避難計画の甘さを訴えた。芦原さんは「地元の原発をどうしていくべきか。住民には考える責任があり、それを放棄するわけにはいかない」と力を込めた。

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