紀の川左岸から河口を望む=和歌山市で、鶴谷真撮影

 旅と旅行は違うと思ってきた。一人旅とは言っても一人旅行とはあまり聞かない。ローカル線に揺られながら車窓の向こうに来し方を見つめ、思索にふけるのが旅だろうか。対して旅行は、仲間とにぎやかに語らいながら観光地を巡り、記念写真に納まる感じだ。

 和歌山県の発表によると、2023年に県内を訪れた観光客数(速報値)が4年ぶりに3000万人を超えて約3193万8000人に達し、史上最多だった新型コロナウイルス禍前の19年の9割まで回復した。この中には旅人もいるだろうが、やはり大半は文字通り観光旅行の人たちだろう。

 県外出身の私にとって、和歌山の観光地は南紀のイメージが強かった。ただ23年の実績をみると和歌山市が約627万9000人で、南紀など他のエリアを圧倒している。県観光振興課に尋ねると、和歌山城や紀三井寺、和歌山マリーナシティのほか、夏場の磯の浦海水浴場などが人気という。近畿圏からアクセスしやすく、日帰りも容易だからだろう。

 経済効果が大きい観光客数の回復は誠に喜ばしいが、個人的には、ガイドブックやウェブサイトと首っ引きになり、そこに掲載された記事や写真と眼前の観光地の様子が一致しているかどうかを確認して回るかのような旅行に倦(う)むようになって久しい。どんなに山紫水明、風光絶佳をうたわれる名所に立っても、数分も眺めれば飽きる。絶景を脳裏に焼き付けたはずなのに、一歩離れるともう記憶はあいまいだ。

 感受性が鈍磨した面はあるにせよ、案外、若い頃からそうだった気がする。おそらく唐突に過ぎるのだろう。めでる対象を受けとめる抗体のようなものがこちらの心に形成されておらず、表面を滑っていってしまうのだ。

 だが、心をうたれた小説や映画の舞台となれば別だ。私にとっての和歌山といえば作家、有吉佐和子(1931~84年)の小説「紀ノ川」(59年)である。花、娘の文緒、孫の華子の女3代の生き方が、明治・大正・昭和の時代を背景に鮮やかに描かれる。

 花は九度山の名家から、紀の川下流の六十谷(むそた)の素封家へ、5艘(そう)の舟を連ねて嫁入りをした。ずば抜けて良妻賢母たる花に対し、「デモクラシー」に傾倒する文緒は「お母さんは古うて古うて、どないにもなりません」と反発する。第二次世界大戦後に出版社に就職した華子は、老いゆく花と心の交流を果たす。

 初めて読んだのは大学生だった30年前で、花の時代がかった嫁入りの場面と、その後も一貫して凜(りん)と美しい花の姿が印象に残っていた。花の義弟が文緒に向かって語る名ぜりふ<お前(ま)はんのお母さんは、それやな。云(い)うてみれば紀ノ川や。悠々と流れよって、見かけは静かで優しゅうて、色も青うて美しい。やけど、水流に添う弱い川は全部自分に包含する気(きい)や。そのかわり見込みのある強い川には、全体で流れこむ気魄(きはく)がある>も記憶にあった。

 和歌山赴任にあたって再読してみると、栄達を重ねている夫が、優美な花の掌上で守られ押し上げられてきたからこそ、ここまで来られたのだと思いを致す場面にハッとした。封建的な家制度の中でこそ花は才覚を発揮したのだろう。小説は終盤、その家が凋落(ちょうらく)しゆく様を冷徹に見つめる。しかし、くだくだしい家のくびきが外れたとしても、生身の人間が自由に切り結ぶ家族、特に夫婦間は荒波の連続である(順調な方はスミマセン)。

 小説は、20代後半の華子が和歌山城の天守閣から望遠鏡で紀の川の河口を見晴るかす場面で幕になる。華子はその後、達者に暮らしただろうかと思いをはせるのは、私も家族を持ったからだろう。優れた物語は読み手の人生に伴走する。身近な九度山や和歌山城を旅してみよう。「紀ノ川」の陰影に富む女たちにきっと会える。【和歌山支局長・鶴谷真】

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